摩擦をおそれるがあまり、先に「いい意味で」をつける話法は、ちまたにあふれかえっている。
それつまり、裏返せばこれからちょいと批判しますぜ、の狼煙でもあって。
けど、敵意はないので怒らんでね。めんどーだから、の意。
無意識につかっている人も少なくなく、
簡単だから日常の人間関係で多用されていて。
そこいくと伊集院光がよくやる、先に結論として褒めてから内容に入るという話法は、組み立てに思考の手間をかけているぶん狼煙ではなく香をたくもてなし感が濃厚だ。
「まず〇〇さんの仕事ですげーなと思ったのが何々で。」
言われて悪い気はまったくしない。
がやがてそれが定型化された問答スタイルなのだと気が付くわけで。
逆に対談者に「ありがとうございます」まで言わせてワンセットと知る。
とたんにこの流れに入るたびに鼻白んでしまうのだな。
にもかかわらず、やはり悪い気はしないのは、あれだ。
褒めてから、入る。
にみせかけて、その実、認めてから、入っているからだ。
褒めるは加減を見誤るとお追従になってしまう。
大前提として認めることが重要。
認めは、批判や反論する場合でも、大前提だ。
単なる言葉の投げ合いにしてしまっては、無益な徒労に終わる。
しかしこの認めが結構日常ではおざなりにされているんだよね。
手間がかかるしね、
ひと工夫いるしね、
めんどくさいからね。
料理とおなじだね。
闇生