人は、
本意でない仕事であっても、日々の生活のために受けねばならないことがままあるわけで。
あたしなんかは日々、その連続であるわけで。
つまらん仕事をうけないためには、なによりも生活の水準を上げないこと。
……と俳優の山崎努がどこかに書いていた。
遊ぶ金ほしさで。
などとは、人が道を逸脱してしまったときによく吐く言葉だが。
その生活の希望水準は、自分の職能、身の丈に対してどうなんだ?
「生活のため」というその生活の中身は。
とはいえ、少しだけでいい。今よりも楽になりたい。
今よりも。
昨日よりも。
なんなら遊びたい。
と、丈をこえてつま先立ちをしようとするとき、人はバランスをくずすのだろう。
そこに「出来心」とかいうのが芽生えるのだろう。
しかしまあ、
あの業界では「とっぱらい」なんて用語がまかり通っていたよね。
もとをただせば「興行」といういかがわしさをウリにする世界である。
昨日今日はじまったことでもないだろうに。
闇生