旅本の先人。

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というわけで連日『旅本』づいている闇生なのだが。
ふとこの本を思い出した。

山下清著『裸の大将 東海道五十三次小学館文庫

旅本、という言葉。
旅行記や道中記、旅日記、紀行文とは言わず、あえて『旅の本』、『旅本』とする妙。
これがなにげに重要なのですな。
これは実際に手にとって読んでみなければ感じられないのだが。
著者がフォントから編集から製本に至るまでトータルにプロデュースし、ばかりか多くが自ら手を尽くしている。その感触が単なる紀行『文』とは言わせず製『本』までを製作の一区切りとみなし、それを読み手が了解することで『旅本』となる。
たぶんそういうこった。

んで、山下清の遺作。
東海道にのこる五十三の宿場跡を清が実際に訪ね、そのひとつひとつに感想と素描をのこしたものなのだな。

実は四十二点を製作した時点で清は病に倒れている。
製作は中断。
そのまま未完となるかに思われたが、死後十三点があらたに発見されて完結。晴れて陽の目を見ることになったのだな。

言わずもがな絵は素晴らしい。
が、そこに添えられた素朴な文章にこそ清の素直でユニークな視点が垣間見られるのがありがたいのだな。

惜しいのは、
彼の文章が自筆で収録されていないことだな。
原稿用紙に見立てたマス目に活字をもってされてしまっているんだな。
せめて直筆原稿を並録してほしかったな。

そのよそよそしさに著者との距離をまざまざと認識させられるから、もどかしいな。
触れたいのに分厚いガラスの向こうにあるようで。

『旅本』のあとだけに余計そう感じたのかもしれない。
清が自身で手製本にしていたら、
と夢想したけれど、彼なら製本は『人がやってくれるから楽だな』と答えるだろうね。


で、思った。
『旅の本』展。
これは『本』だからこそ、なのね。
いまどきだ、
作家たちはブログやTwitterなどでも活動しているに違いないのだが、そういうわけであえて本にすると。





闇生