壁の言の葉

unlucky hero your key

歩く。21

 
 まもなくY字に差し掛かり、これを左に。
 国道に架かる橋をわたってすぐに『六地蔵の高札場』。
 

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六地蔵 高札場跡。


 その名のとおりにお地蔵さまが六体、一列横隊で街道をながめておられました。


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六地蔵


 さらに道なりにすすむ。
 すると20号に突き当たる。
 これを左に。


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吉野宿本陣跡。


 明治に焼失するまでは五階建てだったというから、目を引いたろうね。
 今でもただならぬ威容を感じるのだが、お寺でも城でもないのに五層て。


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吉野宿 庚申塔


 対面の並びには庚申塔がのこされてあった。
 この時点で11時15分。
 そろそろ飯にしたいところ。
 20号は吉野橋にさしかかる。
 これは相模湖にそそぐ沢井川に架かる橋で、かつては小猿橋とよばれた橋があった。
 現在の橋のたもとにその跡が遺るが、そこにもまた廿三夜だ。


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猿橋跡の廿三夜と百万遍
 

 でかい。
 字が。
 百万遍と彫られたほうには『光明真言』とある。
 真言宗のながれでしょうか。
 その宗派の講が催した『廿三夜』の会だったでしょうか。
 こういった文化も太陰暦から太陽暦へと時のながれの尺度が変えられるとともに、廃れたのでしょうか。
 暦は統一しなければ意味がない。
 その尺度を改めるならば権力を発動させなければ統一はできない。
 良し悪しではなく、文化は政治に左右されるのですな。
 それはともかく、
 月の満ち欠けのリズムが、地球上の生物に多大な影響を(むろん人間にも)与えているのは事実なのだから、旧暦も見直せば知恵がつまっていそうですな。ぎっしりと。


 橋を渡る。


 

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中華 福龍。
 

 古道は20号から分岐。
 この中華屋さんの前の枝道を右ななめに入る。
 どうやらまた細い道がつづくようであーる。
 ちょうど昼前ということで、この福龍で昼食ということにした。
 

 チャーシュー麺(800円)とギョーザ(450円)。
 こういう昔ながらの中華そば屋さんの風情というのがあたしは大好きで。
 元不良(死語)でちょいワル(死語)の茶髪(死語?)のあんちゃんが、バンダナに黒Tで腕組みしてつくってますみたいなのが苦手なのだな。
 奔放な筆づかいで店名を殴り書きしました、的な看板とか。
 粗さ雑さを、むしろウリにしてますぅ、みたいな。
 そういうスタイルがもはや固定されちゃってますでしょ?
 ひと昔まえのロックバンドみたいに。
 そこにおさまっちゃってること自体が、ロックじゃないじゃん。
 あたしが求めるのは素朴で、
 愛想がなくとも主役はあくまで客だという謙虚な姿勢で、けれどそれでいて媚びていない……。
 などと、脱線しまくっているうちにチャーシュー麺出てきた。
 
 チャーシューでかっ。
 ぶ厚っ。
 チャーシューに蓋されて麺が見えねえぞ、おい。


 むかしながらのチャーシュー麺*1を予想していたので、文字通り、麺くらった。
 腹いっぱいっす。
 一族経営らしい感じもよろし。
 老夫婦とその息子夫婦、それから老夫婦のどちらかの姉か妹で切り盛りしているらしい。
 出前もしているらしく、忙しそうだった。
 店内はカウンターのほかに御座敷があって、テーブル三つだったかな。
 観光途中の家族づれがわいわい食事していましたよ。


 ごっつぁんでーす。



 店の前の枝道に入る。
 すると馬頭観音


 

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中華福龍の枝道の馬頭観音


 ああ、そういえば馬頭観音も多いね。
 これは甲州道中だけではなく、身近にも多い。
 近所にもたくさんある。
 これもまた仏教由来だけれど、オリジナルとは程遠いものになった。
 石仏に関しては日本独自のものかな?
 生活に溶け込んでもはや民間信仰ですな。
 路傍には馬頭観音とお地蔵さんというありきたりな風景。
 馬は高価で重要な輸送機関ですからね。
 そこから連想されて、願望に結びついて、民間信仰化を促すのじゃないかなと、
 思いつつ、先へ。
 
 

 つづく。



 ☾☀闇生★☽
 
 
 

*1:ほら、映画『タンポポ』に出てきたような。丼のなかをまるで盆景のように見立てた盛り付けとかね。