壁の言の葉

unlucky hero your key

かけるか。

 なぜだか握り飯ばっか食っている。
 飯炊いちゃ、握り飯だ。
 ゴールデンウィークということで現場が止まっているせいで、懐事情がお寒いというのもあるにはあるのだが。
 それにしたって握り飯だ。
 

 とりあえず飯は炊いておこうと、ごはんベースに食生活をやりくりしている日々。
 炊けて、さてどうすると考えると、とりあえず握り飯だ。
 となればあたしにとっての握り飯は梅干しであって、種付きであって。
 冷蔵庫に常に梅干しを常備しているので、取りかかればあっけない。
 しかも炊き立ての飯でつくる握り飯だぞ。
 もうね。
 たまんないぞ。
 おかずもなしに貪るぞ。
 こないだ、それじゃあまりに貧粗だろうと味噌汁もつくってみた。
 ぶっといネギと豆腐のね。
 なんだろね。この贅沢すぎてすいませんな感じは。
 罪悪感は。
 でまた、使った海苔がね、やっすぅい味海苔でね。
 これがまた『おにぎり用』なんて謳っているくせに、うまいこと歯型に沿ってちぎれてくれないんだな。
 飯は炊き立て握りたてなもんだから、そうなるとこぼれるこぼれる。
 で、うはうはうほうほ言いながら、手のひら米粒だらけにして貪る。
 でもって味噌汁だ。


 欲望をおかずや別メニューといった開けた外の世界にはではなく、あえて三食とも梅干し握り飯という閉じた内なる世界に向けるとなると、対象は米やその研ぎかた、海苔や塩、梅干しへと向けられるわけで。
 中でも紅一点、梅干しのあり方に出来は左右される。
 これだけが心残りであった。
 上京以来、常備する梅干しは実家の自家製であった。
 これがまた田舎仕込みで。
 流行りの「しょっぱくない梅干し」だなんていう矛盾したところは目指していない。
 しょっぱいだけ。
 塩と梅。それだけで、どうだこのやろーだ。
 辛くないカレーとか。
 ノンアルコール・ビールとか。
 誰も傷つけないように配慮した清潔なブログとか、芝居とか。
 そんなもんそもそも概念にない田舎の年寄りが庭先でつくった素朴な一品だ。
 我が握り飯の内なる宇宙の中心につねにあったのは、そんな奴だった。
 それなのに、その愛すべき自家製梅干しが、両親が息子夫婦と同居するようになって、途絶えている。
 すだれの上に梅をならべて縁台に干す風情は、猛威を振るう断捨離の餌食とされた。
 家庭菜園も、それに使う農具も断捨離だ。
 摘んできた野の花を廊下に飾っても断捨離だ。
 まてど暮らせど、しょっぱい梅干しなど届くはずもない。


 というわけで「とりあえず」で近くのスーパーで買った「しょっぱくない梅干し」で代用。
 しょっぱくない梅干しの中からできるだけしょっぱそうなのを選んだが、ほとんどがハチミツ入りだったり、『しょっぱくない』や『減塩』を謳っていて、つまらん。



 誰も死なない推理小説とかホラーとか。
 暴力のないアクション映画とか。
 倫理的なアダルトサイトとか。
 エコカーだけでやりくりするカー・アクションとか。
 美男美女しか出てこない学園ものとか。
 
 


 そういや昔、女優たちがこぞってヘアヌード写真集を出したとき、
「きれーい。ぜんぜんいやらしくなーい」
 という感想を巷の同性に言わせる流れが流行りましたな。
 まるで誉め言葉のように「ぜんぜんいやらしくなーい」というあれ、なんだったんでしょうな。
 まるで「無害~!」と言っているような。
 そうのたまった人たちは、はたして身銭切って買ったのでしょうか。
 あの現象、当時アラーキーとかはどう思っていたのでしょうか。
 昔深夜番組で、某女優が、大自然の中でオール・ヌードでしかも剃髪して撮影した写真集の宣伝をした。
 ダウンタウン汁だったかな。
 自然との一体感がどーのこーのと解説する当人の横で、MCを務めていたダウンタウン浜田がひとこと、
「かけへんわ、これ」
 そのあとが『エロかわ』とかか。
 そうやって『いやらしい』の廉価版だかバッタものみたいな言葉遣いに移行していきましたな。
 
 

 うん。
 やっぱ今日の夜勤にも握り飯を持っていこうっと。




 ☾☀闇生★☽