エドワード・ギラン監督作『さすらいのレコード・コレクター』
新宿K’s cinemaにて。
副題「10セントの宝物」
20~30年代のジャズやブルース、カントリーのSP盤を収集するマニアを追ったドキュメント。
その名もジョー・バザード。
狩場はおもに田舎にある古い民家の納屋や地下室で、「お宝」の情報を得るとどこであろうとたずねて行っては、ぶ厚く積もったほこりのなかで発掘作業に勤しむ人生。
50年代以降の音楽には見向きもしない。
その時代の音楽を溺愛するあまり、青年時代には無許可にラジオ局を開局して音楽番組を放送していたという。
自宅はまさに米国音楽史の貴重な音源をずらりとそろえた博物館だ。
ロックを嫌い、ロックが音楽をつまらなくしたとまで言い切るジョー。
その言から単なる偏狭なアメリカ保守おやじかと思ったが、ロック発生以前の音楽はどこの音楽にも感化されていないアメリカ独自のもので、個性に満ち溢れているという解釈らしい。
まだ音楽に多様性があった時代だったと。
自分は米国人なので、そのなかでも母国独自の文化を愛す、ということらしい。
その証拠に昔はジャマイカにはジャマイカの音楽があった、というくだりがある。
そこが素晴らしいのにロックがだめにした。ロック的なアプローチが国境を越え、世界中にはびこって、どこの国の音楽も似たようなものにしてしまった、というようなことを発言している。
さらにクラシックもいい、という。
ということは、彼は大好きな古いジャズ、ブルース、カントリー以外を十把一からげに毛嫌いしているわけではないのだな。
つまりロック以降の音楽は普遍性があり、グローバルに伝達する力をもってはいるが、そのかわり個性をすり潰してしまうのである。
この個性が、古い音楽には満ちていたという解釈。
あたしには、どこも似たり寄ったりの同じような『顔』つきになってしまった日本中の町の現状と重なった。
コンビニ、黒Tにバンダナの店員がいるラーメン屋、カラオケボックス……。
などという屁理屈は、あと回しにしよう。
このおやじのご機嫌な様子。どうすか。こっちまでうれしくなってきませんか?
奥さんに先立たれても、好きな音楽に囲まれていれば毎日ハッピーだ!
そして、ぜひ劇場で彼の愛する音楽たちを体感してほしい。
大音量で空気を震わせるあのグルーヴ。
誰の感化もうけていない歌声。
奏法。
肉体にしか生み出せない音の塊。
熱気。
自然と体が突き動かされてしまう。
映画『さすらいのレコード・コレクター 10セントの宝物』予告編
この日は日曜の14時45分の回。
満席であった。
ディスク・ユニオンの、あの黒地に赤文字のレジ袋を手にした観客が何人かいた。
もちろん袋のサイズはLPサイズ。
ははん。
そうでしょうとも。
52分。
あっという間でございました。
☾☀闇生★☽