『フロム・イーブル』感想。

 エイミー・バーグ監督作『フロム・イーブル バチカンを震撼させた悪魔の神父』DVDにて。
 原題は『Deliver Us From Evil』

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 『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』というシリーズでDVD化されているうちの一本。
 もととなったテレビ番組ではオセロ松嶋と映画評論家の町山智浩が解説している。
 が、このDVDには映画本編のみが収録されている。
 聖職にありながらその地位を悪用して複数の幼児虐待をつづけていた神父およびその被害者家族を追ったドキュメンタリー映画


 事件が発覚するたびに教会は事件そのものを隠し加害者神父をかくまってきた。
 当人にこれといった罰則もあたえず、教会から教会へとたらいまわしに転勤させつづけただけだったという。
 その理由は、事件が明るみに出れば、その教区の上層部の司祭たちの地位が脅かされるから。
 有体にいって出世のため。つまり組織ぐるみの保身であった。


 性癖というのは、そう簡単に矯正できるものではない。
 なぜならそれは理屈で成立するものではないからであって。
 関係が成人どうしの了解のうちで成立しているうちは、どういう性癖であろうとだいたいは問題がないのだろうが、これが一方的となり、暴力が介するとなると話はまるで違ってくる。
 加害者と被害者という関係になる。
 ましてや被害者は幼児である。大人の聖職者にたいして非力であり従順だ。


 かくして事件は隠される。
 矯正することの困難な事案が、矯正されないままに隠蔽される。
 ましてや、キリスト教圏での聖職者というのは絶対的な信用をもっているわけであり。
 悲劇は繰り返されるべくして繰り返されてしまうのだ。


 事件が明るみになると、真相を追求しようという運動がおこる。
 弁護士や良識ある行動的な神父たちが被害者家族たちに協力して、勇気ある告発をはじめる。
 すると教会の隠蔽体質はおもっていた以上に根深いことがわかってくる。


 強大になるほどに組織というものは、どこも同じ轍を踏むようで。
 維持しようという働きが保身となり、代謝を捨て、その挙句に根を腐らせる。
 腐った根を隠そうとまた隠蔽が起こる。
 告発に協力する神父がこんなことを訴えていた。
 キリストその人が唯一怒りをあらわにしたのは、教会のなかだった。
 偶像崇拝と私利私欲に耽る聖職者の慢心に、キリストは怒ったのだった。


 これはいつの時代のどの宗教にも起こりえることではないのか。
 
 


 問題が深刻なだけに、そしてそれがドキュメンタリーであるがゆえに、最後まで見続けるのがつらかった。
 まさに天国も地獄もこの世のありようである。
 悪魔は身近にいるし、またそれぞれのなかにも棲んでいる。
 カメラに向かって告白する加害者神父の表情を観てほしい。
 このシーンだけを音声と字幕なしに見れば、そんな悪魔的な行為をした人物だとは到底思えないだろう。
 しかし、それが人間の恐ろしさなのだな。


 しかしまあ、根が深いよ。
 聖職者の小児性愛は長年言われてきてはいるからなあ。


 ☾☀闇生★☽