だいたいにおいて天国とか極楽を描いた芸術作品よりも、地獄をテーマに描いた作品の方がのびのびとしていると思う。
地獄を描くには、自分のされたくないもの、見たくないものに対して作家は最大限に想像力を働かすだろう。
おぞましければおぞましいほどよいわけで。
まあ、テンションあがりますわな。作り手としては。
鑑賞者を驚かせようという露悪趣味も存分にやらかせるし、破壊衝動も、性も、暴力も、キャンバスのなかなら自由自在だ。
隠さなくていい。
同時に他人の不幸や悪行というのは好奇心の源でもあり。
その好奇心によって鑑賞者はひきつけられる。
怖いもの見たさ、というやつね。
してはいけないことであるのに現実からは決してなくならない行為。そこにこそ、人間の本性があるのであり。
だからこそ、道徳や倫理や宗教で縛ろうとするわけであり。
そこいくと天国を描くには、したいもの、見たいものをそのまま描くわけにはいかない。
道徳や理性や倫理という自己検閲が作用してしまう。
道徳や倫理の縛りがなくとも悪がはびこらない状態というのは、各自が内面に縛りを設けることであり、ひいてはその世界を描く作家への縛りにもなっている。
まあ、簡単に言ってしまえば、
やっちゃいけないことに惹かれるのが人間なのだな。
善は悪との、
悪は善とのコントラストによって存在するわけですから、当然といえば当然か。
などとボスの地獄絵を観ながら思ふ。
追記。
自分の立ち位置にもよるのか。
老い、病、飢え、という苦しみのなかにいるのなら、それらのない世界として天国を欣求すると。
☾☀闇生★☽