読書目的で乗った夕刻の京王線。
新宿で下りるとバスタ前に警察車両が集結している。
ただならぬ空気に、さてはテロか、と思ったのだが。
甲州街道をデモ隊が行進しており、その言論の自由を守らんがためのことであった。
なんせその行進に反対する人たちが群れる野犬のように吠えたてており、やかましい。
中指を立てた腕垣の向こうを、林立する旭日旗と日の丸がゆく。
野犬たちはもう一方の手に拡声器を持ち、あるいは「ヘイトスピーチをやめろ」などと書かれたプラカードを持ち。
はたまた人差し指でこめかみのあたりを指して『くるくるぱー』サインをしながら、吠えている。
言論はない。
思想もない。
吠えているのだ。
手負いの熊に遭遇して吠えたてる野犬の群である。
肝心のデモ隊の主張がそれら喧騒にかき消されてよく聞こえなかった。
思えばそれが野犬たちの目的なのか。
むしろ行進が何を主張したいのか、好奇心を煽っていると思うのだが。
人は隠されれば隠されるほど、知りたくなる。
国際法に反する銅像の設置がどうのこうの、というくだりは辛うじて聞こえた。
ならばおおまかに言ってこの芝居は『日本肯定』vs『日本否定』という構図なのね、と見なして立ち去った。
主張はともかく光景として見苦しい。
中指を立て、がーがー吠えたて、くるくるぱーサインをする自由が守られているお国柄もまた大したものだとは思う。
ただ彼らにもまた言論し、デモをする自由が保障されているはずだろうに。
いわゆる正義のためならどのような態度でもゆるされると構えているのだろうか。
そして、その正義なるものを理性のフィルターを通さず、感情のままにアウトプットするのが正しいとも考えているのだろう。
公に対峙する個人としてではなく、ワタクシが正しいと。
TPOに関係なく、
うんこしたいからうんこする。
ゲップしたいからゲップする、
ああきもちいい、というレベルである。
それは勝手だろうが、気になったのがその『正義』なり『反対する意志』を世界に発信しよう。広めようとは考えていないらしいことであった。
残念である。
あまりに見苦しいので、中指を林立させて吠えたてるあの光景をひろげようと思う人たちは多くはないのではないか。
あの形相……。
もしもあたしに子供がいたなら、見せたくない光景である。
つまり、効果的ではないと思うのだ。
たとえばガンジー主義においての無抵抗であるとか。
あるいはオリンピック選手が、表彰台のうえで無言のまま握りこぶしをあげつづけて人種差別にあらがう姿勢を表明したこととか。
フランコ政権に抗議して演奏をやめたパブロ・カザルスだとか。
反対するにも作法というものがあり、それが人の心をうつ。
しかしバスタ前の野犬の群にそういう知性は微塵も感じなかった。
人に対し、吠え、中指をたて、くるくるぱーサインを出す、という日常では憚れる行為も、いわゆる正義を楯とすれば公然と行える。
そういう自由に酔っているようにしか見えなかった。
そこにある種の快感があり、ともすれば中毒性もあるだろうことは想像できる。
酔っぱらって悪態をついても、それが『正義』という酒によるものならば、ゆるされるという塩梅だ。
さらに残念なのは、警備についている警察官にたてついている野犬がいたこと。
彼ら警察はデモの主張に同調して集結したのではないことは、明らかだろうに。
つまり公然と反抗する快感、吠える快感あっての行為であり、その対象はどうでもいいと、そう解釈させていただきました。
あの犬は喧嘩の仲裁者にもかみつくタイプだね。
なにはともあれ警察官、おつかれ。
とどのつまりが、どちらも「真面目にやれ」というのが本音です。
せっかくの休日を茶番に汚されて不愉快です。
さてと、
ハンタ連載再開を祝して、飲みなおそうっと。
☾☀闇生★☽