普段『さん』づけであたしを呼ぶ先輩が、いないところで『ちゃん』づけにしている。
いじられている。
休憩中、現場からはなれた公園で着替えたとき、無線をはずしていた。
その間、彼らはあたしに呼びかけていたらしい。
返答がないので、電源を切ったか圏外まで出かけたと思ったらしく。
そのまま雑談となった模様。
制服のなかに一枚着こみ、あらためて無線を装着すると「ちゃん」づけで話題にされているではないか。
親しみとしての『ちゃん』ではなく、あからさまな『いじり』としてのそれだった。
ようするに、変人扱いをされておったと。
なんせ前職がエロ屋である。
ネタとして変態呼ばわりをされることも、そりゃあ、あるさ。
彼。同僚のほとんどをアスペとみなしているのだが。
たしかにこの業界、社会に足並みをそろえられない連中の吹き溜まりになっている観もあって。
まぎれもなくあたくしもその一人であり。
端的に言うと、アタマを張りたくもなければ、属したくもない。
有体に言って、つるみたくない。
そんな奴ばっかであーる。
坂本龍一がそのファーストアルバムのライナーで看破したとおり、権力者にも使用人にもなりたくないという分裂症のなかで比較的軽度の者が好む職業。
ついでながら中度はミュージシャンで、重症なら病人だと若きキョージュはのたまった。
しかしながら、自分だけが正気であるというならば、落語の『一つ目国』じゃないが、その環境では自分だけが狂っているともいえるわけであり。
キョージュの1stが1978年。
あれから時代は変化して。
変質して。
思えば、就職しない人や、非婚や、親元に居続ける人という人たちが激増した。
事情はそれぞれあるのだろう。
んが、これもまた彼のいうところの『分裂症』にくくられるのではないかと、思ふ。
家庭や個人的な事情でやむなくここへ『落ちてきた』人たちからすれば、苛立たしいのだろう。
親の介護のために退職し、煩わされているうちに独身のまま中年になってしまったケービ員たちが、少なからずいる。
彼らはきっと腹の底で嘆いているにちがいない。
「こんなはずじゃなかった」と。
だもんで『変態ヤミオちゃん』、で結構。
せめてもの気休めに、嗤ってください。
けど、その距離感はもう結構。
『ブラッド・メリディアン』読了。
追伸。
アマゾン・プライムなんたらで『男はつらいよ』の第一作を観る。
時代の記録としても面白い。
庶民にはナイフとフォークがまだ浸透していないところとか。
街を行きかう車のデザイン。
「職工っ」という言葉。
その貧しい若者たちが、暇になるとなにかとギター弾きを囲んで歌うとことか。
スイカの名産地~♪
その職工のオペレーター前田吟がぎらぎらして若かったなあ。
ホホホイを当てた頃の遠藤章造みたいだった。
考えてみるとこの寅さんこそが、上で云う分裂症の代表例だよね。
テキヤで、作中には親分という存在が登場するものの、寅さんに帰属意識は薄い。
どこかの組に上納金を収めているふうでもない。
フリーだ。
ああいう存在が時代からはじき出されて、シリーズを重ねるごとに現実味を失っていった、という見かたが昔は一般的だった。
シリーズの終わりの頃は「あんなのいねえよ」と。
けど、そうではなくて、
根無し草のフーテンのような存在が姿かたちを変え、
社会に蔓延し、
浸透して、
当たり前になってしまったのではないかと。
☾☀闇生★☽