『バットマン ゴッサムナイト』6話オムニバスOVA。DVDにて。
日本を代表するアニメ制作会社3社(STUDIO4℃、プロダクション I.G、マッドハウス)が、それぞれ2話ずつ担当している。
収録話
『俺たちのスゴい話』
『クロスファイア』
『フィールドテスト』
『闇の中で』
『克服できない痛み』
『デッドショット』
あたしゃレンタル版で観た。
なのでえらく評判のいい特典ディスクは未見でござる。
各話とも質が高いのだろう。
作画監督が誰だとか、その代表作がなんだとかのウンチクがあるならば、もっと愉しみようもあったのだろう。
んが、
バットマンマニアでもアメコミ通でもないあたしにとって印象に残ったのは第一話。
スケボー乗りの子供たちが集まって、それぞれが遭遇したそれぞれのバットマン像を語り合っているお話。
まあ、いってみりゃ芥川龍之介の『藪の中』であり、それを原作とした黒澤明の『羅生門』のスタイルである。
これらは語るそれぞれの主観の違いから『事実』っちゅーもんは多面体であると、見る角度によってまったく異なる姿を見せるという、そこをあぶり出す目論見で綴られたのだろう。んが、共通点を抽出して唯一無二の事実を浮かび上がらせていく姿勢で語るならば『11人の怒れる男たち』もそのスタイルにあたるのかもしれない。
映像はその子供たちひとりひとりの主観として描かれるという仕掛けであった。
よって誇張や憶測をこれでもかとふんだんに取り込んで、
「俺が見たバットマンなんかもっとすげーんだぜ」式に、
競って競って、
盛って盛って、
結果それぞれにビミョーに異なるバットマン像を抱いているところが面白かった。
そもそもバットマンというヒーローは『未確認』であることが重要になっている。
であるからして、ゴッサムシティの住人たちのほとんどは『確かな噂』でしか彼を把握していない。
……という設定は、せめて押さえておかなくてはならないと思ふのだ。
我々はあたりまえにモニターのなかにバットマンを見ているが、正体はむろんのことビジュアルや戦闘を目撃できるのは、観客や読者の特権であって、彼に遭遇できるのはゴッサムの市民でもごく一部であると。
して、語り合う子供たちがそれぞれに違ったバットマン像を抱いているという着目点が、このエピソードの勝因だ。
事実は、自身の願望フィルターを通さずには受け入れられず、無意識に尾ひれをつけてしまう子供の空想力が(罪のない虚言癖が)、キャラクターの自由奔放なフォルムの変化と動きとなって表現されていて、アニメーションとして爽快であった。
とどのつまりが『目に気持ち良い』のだ。
この一話全体を通してアニメ映画『鉄コン筋クリート』に近い印象をうけたのは、あるいはスタッフが共通しているからなのか、どうか。
というわけで、のっけからこの目まぐるしさ。
ツカミはオッケーといったところだろうが、そのせいで2話以降が地味に感じちゃってね。
いや、わかるんだけどね。やたらめったらこれ見よがしに、アニメーターのエゴ解決のために動かすばかりがアニメじゃないっつーことは。
静と動。
あっま〜いお饅頭と、しっぶ〜いお茶。
その落差がメリハリの緩急となってくれればよかったが、ちょっっっっっっと弱く感じたかな。
余談。
たしか2話目だったと思う。
とある男性キャラクターが車のなかから外を見るシーンがある。
カメラはそれを外から撮っている構図で。
男はウインドーを下げて外を見るのだが……。
これが気になってしまったのね。闇生は。
いや映画によくあるシーンなのだけれど。
車内の人間が車外を見る。カメラは外から。でウインドーを下げる。よって観客に乗車している人間の顔が明らかとなる。
実際にはウインドーを下げなくても彼は外を見られるはずではないのか。
ガラスが透明ならなおさらそうである。
あえてウインドーをさげる必要があるとするならば、
『車外の音を聞く』
『外の匂いを嗅ぐ』
『車外の誰かとやりとり(会話や物の受け渡し)をする』
『死角(遥か上空やドアのすぐ下)を見る』
『空気を入れ替える』
『虫などを逃がす』
といったところだろう。
あのよくやる窓下げは、映画の観客のための顔だしに過ぎないのではないのか。
それはいいとして、説明シーンを説明の効果だけで終えないでほしい。
なにかちょっとした根拠をつけてやるだけで動きが自然になるのだから、そうしてほしい。
たとえば北野武の『アウトレイジ』の予告編にも出ていたシーン。
車に乗っている杉本哲太がウインドーをおろして車外に捨ておかれた死体を見て笑うアレ。
映画的には、この殺害を指示したのはこの男(杉本哲太)ですよー、という説明シーンなのだが、説明シーンが説明の役割だけで終わってしまっている。
窓開けて見る必要あるか?
昔の武なら、あえて車内から撮ったのではないだろうかと。
余談2。
もひとつ。
映画『マトリックス』以降流行りに流行った演出「バレットタイム」。
あれもどうなんだ。
飛んでくる弾丸やナイフや拳などをギリで避けるうなシーンで、やたら使い回されるよね。
けど、本家本元の「バレットタイム」がなぜ斬新だったのかというと、被写体(役者と弾丸)がスローなのにカメラワークがリアルタイムで動いているという一点でしょ?
そこが新しかったんでしょ?
なんかね、それに安易に『寄った』シーンを見せられると、失笑してしまうな。
☾☀闇生☆☽