寝ても寝ても寝足りない。
夜勤前に『カポーティ』を観る。
フィリップ・シーモア・ホフマンの演技に見とれる。
カポーティの『冷血』は、執筆中のいくたびかの朗読会を経て、完成していたと知る。
超人気作家にしかできないことだが。
村上春樹やスティーヴン・キングが、完成間近まで絶対に人に見せず、原稿を寝かせ、繰り返し推敲するのに対してどうだろうこの作り方は。
「ドキュメンタリーにして小説」という謳いが、そうさせていたのだろうか。
つまり執筆と事実(裁判)の進行具合もまた、お楽しみくださいという。
取材費稼ぎ。
あるいは資金繰り、という一面もあるのだろうけれど。
渋いおっさんばかりの映画であった。
客寄せとして女を使わないとこに好感を抱いちまった。
アイドル俳優も出てこない。
画面が、はしゃいでない。
題材が、実際におきた殺人事件であったことをふまえれば、まあ当然のような。
時代背景にあわせて、人物たちがちゃんとタバコを吸っているのもよろしいかと。
対象と取材者という、感情移入しすぎてはいけない関係でありながら『小説』というフィクションでノンフィクションを語るという矛盾。
いや、そもそも人が手掛ける以上は、完全に純粋なノンフィクションなど成立しないのだろうけれど。
☾☀闇生★☽