コンビニで『僕アカ』の最新刊を購入。
特殊能力という個性を持つのがあたりまえの世界。
それは誰にでもあるわけではなく。
んが、
そのレア度は、一生に一度お目にかかれるかどうかというほどでもないと。
たとえばそれは、プロ野球の一軍選手のような存在を『特殊』ととらえたような、そんな世界であり。
彼ら能力者はヒーローと呼ばれる一種の『業界』を形成していると。
だもんで、主人公の個性をこの漫画は「無個性という『個性』」に定めたのに違いない。
次世代のヒーローを育てる学校、ヒーロー・アカデミー。その在学生唯一の無個性人が、この漫画の主人公だ。
んで、
それにもかかわらず頭つかったり、身近な道具や状況を、地の利を生かしたり殺したりして、悪玉をやぶっていく。…というのが、執筆当初のアイデアだったらしいのだが、それを担当編集のひとことで変更させられたとあった。
主人公にはやはり特別な能力がほしいなあ、と。
ようするに作品の大前提を覆せとのお達しだ。
そこで主人公は、最も有名な人気ヒーローから能力を継承することになったと。
とたんにあたしら読者は鼻白む思いに突き落とされてしまうのだな。
所詮はジャンプかと。
形をかえた血統主義じゃんと。
この漫画、Narutoの初期を連想させられる人が少なくないとおもう。
能力者の育成学校。
その教師たちの威厳。
家系。
仲間どうしの対立。敵に誘拐されるライバル、などなど。
なのでどうしても思い出してしまうのだが。
能力者同士のチームワークがあの漫画の醍醐味だったと思う。
スリーマンセルとかいっちゃったりしてさ。
そこから最終的には戦争のような規模になるにもかかわらず、『リーダー』の存在感は薄まっていくばかりであった。
あるいは参謀のような存在。
智将といおうか。
指揮官といおうか。
秀吉のもとの黒田官兵衛といおうか。竹中半兵衛といおうか。
日露戦争の秋山真之といおうか。
いやもちろん、そのような地位のキャラクターは登場する。
するのだがあ、ちっとも描き切れていないと思う。
初期には、頭脳派のシカマルにスポットがあてられ、中忍への出世が同期一番乗りという描写でその後を期待させたのだが、結局のところ漫画は戦闘能力の優劣に終始してしまった。
西郷さんも信長も、
半兵衛も真之も、剣の達人である必要はないのだな。
また、宮本武蔵や塚原卜伝が複数の小隊や連隊を、旅団を、うまく指揮できるとも限らない。
剣や銃の達人を何十人集めたところで、リーダーがいなければ軍隊にはならない。
集団ではあってもチームにはなれない。
という視点から、僕アカの主人公の『能力』をそちらへ開花させられなかっただろうかと。あたしゃ思ふのだ。
あのアカデミーに欠けているのは、指揮官であり、リーダーであり、司令塔なのだから。
そうすれば、生まれつきの個性礼賛世界へのアンチテーゼとして、努力や工夫や人格の陶冶やら描きどころは盛りだくさんになる。
主人公は最後まで戦闘能力的に弱くてかまわない。
考えて考えて、逡巡して、仲間それぞれの能力を把握して適材適所に指示していく『能力』。
時には心を鬼にして、仲間を捨て駒にし。
あるいはそれができずに涙を呑んで、と。
そうやって成長していくの、いいと思うのだがなあ。
儀式で継承したり、血統だったりするのより、よっぽど共感のしどこがあると思うのだがなあ。
さ。
今夜は雨で現場は中止。
早めに飲み始めますう。
naruto。
里の長(影)たちが全員戦闘能力に長けているというのも、どうかと思っていた。
追記。
その点『蒼天航路』はそれぞれの長所や役割を描きわけてたなあ。
仮に「少年誌」という制約からそれを省いたのだとすれば、痛い。
子供は子ども扱いされるのを嫌う。
☾☀闇生★☽