飲みたい人と、飲みたいときに飲むことにしていると。
そのかたは、ときに夫婦別行動でお互いにそうするのだという。
かっこいいな、とおもったよ。
関係というものは、そういう遊びというか、余白のような風通しもふくめて認め合ってこそ長く続くものであり。
……なーんてことはいろんな人がいろんなとこできっと言ってる。
こっちゃ聞きなれてもいる。
ポイントは「飲みたい人と」という自問があるとこだろうか。
なんだろ。
仕事のうえでのいわゆる「飲みニケーション」というものが忌避されて久しいが、あれもあれで収穫がないわけではないよね。
嫌々ながらに参加して無駄に時間をつぶすくらいなら、いっそ吸収できることはないか。おもしろがれる一面はないか。といった塩梅にこちらが前向きになれば、なにかしらある。
嫌なもの、苦手なものというのは、それもまたわたくし世界の境界線であり。外壁でもあって。ならばいったんは向き合っといていいんじゃないかと。
案外、壁ではなくて霞のようなものだったりするかもしれない。
王様はすっぽんぽんかもしれないし、おねーさんのすっぽんぽんはおっさんかもしれない。
話がそれた。
飲みたい人と、の件である。
この自問もまたおもしろいよね。
他者への好奇心というか、興味のあらわれでございましょ?
恋愛感情や下心のケースもあるのでしょうが、そうでない場合はニンゲンそのものへの興味でございましょ?
考え方とか。
視点とか。
メールなんかでは伝達、吸収できないナニゴトカをキャッチボールしようじゃないかと。
人柄というか。
まあ『人』を感じようと。
お堅い言葉で言えばそれが『社交』でこざいますな。
そこに人間の現場があるのです。
すべての学問は人間交際のためにある、みたいなことを昔の偉い人がえらそーにのたまっておりました。
これ、ひっくりかえしてあたくし流に翻案しちまえばこうなる。
「たのしく飲むために日々見分する」
面白がることである。
面白がっている人は、面白いのであーる。
飲みたい人と飲んでますか?
☾☀闇生★☽