○熊本の大地震。
現場への想像力の足掛かりとして、3.11の経験が効いてくる。
自分のいるところとの『距離』という意識が、強烈にはたらいてくる。
それは「自身と当事者との距離」でもあれば「明日は我が身」という距離でもある。
遠くて近い。
「遠くて良かった」という安堵感も、多かれ少なかれどこかで感じているはずで。
お前も、お前も、お前も、絶対に感じているはずで。
ただし、それ自体を不謹慎と断罪してはならないと思ふ。
まず、安堵している自分を意識すること。
しっかりと。
そっからだ。要は。
そっから想像する。
災害から遠く離れ、無傷だからこそできるのが、救援とそれにまつわるアクションにほかならないのだから。
溺れている人を救えるのは、いま溺れていない人だ。
そーゆーこと。
○運動不足の解消を兼ねてこのところ自転車で出勤している。
増員のため、詰所のまえが自転車やバイクでごった返しており、それへの配慮としてでもある。
自転車なら、現場の持ち場近くへ気軽に乗っていけるし、一方通行の多い現場界隈の移動にも便利なのである。
にしても、あれだね、詰所の過密化がひどい。
そういう「お互いさま」状況に気を使える奴というのはごく一部だね。
ふだんからそういう神経を磨いていないと、いざというとき、不必要に周囲をささくれ立たせてしまうことになるんじゃないだろうか。
被災地を、思った。
○スマホにしたのでLINEとやらに手をつけてみる。
なんかよくわからん。
それほど親しくもないのに電話帳にのっているというだけで、なにかしらの繋がりを当人に再認識させてしまうのね。これ。
友だちのいないあたしには無用の長物であると、這う這うの態で逃げ出しておいた。
なんせ繋がることになれてない。
すんません。
探さないでください。
○夜勤明けはハイボールを主に呑んでいる。
それも、うす~く作って愉しむ。
そのため酔いが浅く、かつてのように睡魔に押し切られることがなくなった。
09時を過ぎて、そろそろ寝なきゃという義務感で布団に入る。
眠りは浅いらしく、昼の12時にはきまって目覚めてしまって、そのあと寝付けない。
これがこたえる。
☾☀闇生☆☽