壁の言の葉

unlucky hero your key

 スーパーでレジの順番待ちをしていた。
 ひとつ前で会計をしていたおっさんが、なにやらレジ係の女子に注文をつけている。
 女子はいそいそとレジを離れて、売り場のどこかへ消えた。
 ひょっとするとまだ学生さんだろうか。
 困惑がそのまま表情に出てしまっているあたり、あぶなっかしいまでの初々しさである。
 ほどなく彼女は戻ってきて、待っていたおっさん客に要件を伝える。
 なんだろう。
 希望の商品がなかったとか、だろうか。
 無愛想にそれを了承するとおっさんは、引き続きレジ打ちをうながした。
 やがてすべての商品をレジに通し終え、金額を伝えた彼女はレジ袋をその買い物かごにダンクする。
 おっさん、カネを渡しつつまたもや注文だ。
 冷凍食品用に、別の袋をつけろとのこと。
 戸惑った女子は、パックの豆腐などに使う薄手のシャカシャカいうビニールのやつを渡そうとした。


「ちがうっ」


 おっさん、ご立腹である。
 コレ用の、とのこと。
 コレ用?
 女子はまた怯え、困惑して、レジ袋のストック棚に指をさまよわせた。
 そして大きめのレジ袋を選びかけたところで、おっさん、


「ちがうっ。もういいっ」


 憤懣やるかたなしといった態で、自身の買い物かごを抱えて立ち去るではないか。
 が彼女はそれを追って呼び止める。
 まだ釣り銭を渡していないのである。
 おっさん「なんか用か」とばかりに振り返るや、はたとそれに気が付いた。
 自身で「もういい」といったくせに、ふんだくるように小銭を受け取ったのであーる。
 コンマ何秒だったろう。
 束の間、女子が茫然としたのをその背中に知った。
 そして彼女はレジに戻り、次の客はあたしである。
 明らかに、動揺しているのが分かった。
 見ればその胸には使いまわされてすっかり汚れてしまった『研修中』のバッヂが。
 気持ちの整理なのか。
 いや、それ以前に、何がダメだったのかすら理解できずに、ただただ凹んでいる状態らしかった。
 理不尽を理不尽のままに引きずっているのだろう。
 処理しきれずにPCが重くなったような、そんな緩慢な動きになってしまっていた。
 恐らくは、気持ちのやりどころがわからない。


 泣く?
 怒る?
 投げ出す?
 開き直る?
 悪いのは、誰?
 わたし?
 おっさん?
 助けてくれなかった同僚たち?


 きっと何が何やらわからないのだ。
 余計なお世話とばかりに、ひと声かけてやろうかとも思った。
 けれど、その理不尽もまた経験として、きちんと味わっておくべきものではあるのだ。
 ……といった『人生の先輩』風を吹かすのもどうだろうか。
 なんにしても、誰もが通る道であることには違いが無いし、そのとき人はいつだってひとりなのだ。


 社会は理不尽の積み重ねである。
 たしか談志はこう言った。
 弟子入りとは、師匠の理不尽に耐えることである、と。
 とどのつまり社会とはそういったものなのだ。
 うちら警備員ですらも、そうである。
 交通誘導はもちろん、歩行者誘導なんてその最たるもので、ルールが無いばかりか歩行者『絶対』優先が暗黙のうちにまかり通っているご事態である。
 そこのけそこのけ歩行者さまが通る。
 誰が言ったか歩行者原理教。
 世の中は往々にして、出来ないやつにあわせていくしかないのである。
 検定も更新も試験も学習も、どこ吹く風を肩で切って歩行者はゆくのでござる。
 だから歩行者を優先している。
 けど、実際は絶対じゃないからね。あくまで『優先』にすぎない。
 優先することが危険になる場合だって、珍しくはないのだから。

 
 大型ミキサー車を現場から左折で出すのに、何度か切りなおさないと曲がりきれない状況があって。
 むろん歩行者の切れ目で発進はする。
 んが、
 そこが往来の止まない繁華街なら、どうしてもご通行中の皆さまにお待ち願うしかない事態が勃発するわけで。
 いっぱいまで左折で出して、バックして、ハンドルなおして、また出して、をくり返さねばならない。
 先日、その最中に接近してきた車椅子の御老人が、おキレになられた。
 少々お待ちを、の言葉も言下に遮って「どかせっ」とのご要望である。
 どかすもなにも、そのタイミングで現場にミキサー車を引っ込めるのにはもっと時間がかかるわけで。
 付き添いのヘルパーらしき青年は事情を把握して、その背後で恐縮した苦笑い。
 それでもご老人は収まらない。
 工事を優先するなっ、の怒号。
 存外、お元気なのであーる。


「もういいっ。歩くっ」

 
 と立ち上がろうとする。
 お元気なのであーる。
 こちらはいくらでも恐れ入りたいのに、恐れ入る正統性がみつからない。
 内心は、呆れて脱力してしまうばかりとあいなった。
 それでも頭を下げるのだ。
 それは謝罪ではなく。
 礼儀として。
 引っ込みの付かない事態の、引っ込み役として。
 できない奴で満ちあふれているのが世の中である。
 我慢できる奴、守れる奴がへりくだって彼らの面倒みなくては、はかいかないのであーる。
 まもなくミキサー車は現場から出ていったが、実感として、ものの30秒もかからなかったと思う。
 実際は60秒程度ではなかったか。
 それが待てないのが、一般的な、ヒト科の動物だ。


 例を挙げだしたらきりがない。

 
 その理不尽への対応やスルーの仕方や、やりくりを覚えて、強くなっていく。
 悪い言い方をすれば、ずるくなっていく。
 それが大人になるということである。
 傷ついて凹んだ様子が、また更なる負の連鎖を他人に与えてしまうことまで気が配れるなら、それは強い優しさになるはず。
 決して理不尽のやりくりに『狎れて』しまってはいけない。
 スレてしまってもいけない。
 傷つくことのできるそのプレーンな感受性だけは、大切に。
 それがきっと思いやり(想像力)の基点になるのだろう。


『研修中』


 なるほど。人生、それに尽きるのだわな。
 そこに投入される心身の労力を、ひとによっては『苦労』だとか『努力』だとか呼ぶのだろう。
 んが、
 よく言われるように、それらの地道な試練はきっと誰かが見ている、なんていうまやかしには、のまれないよーに。
 実際は誰も見ていない。
 大体において、まず、気づいてもいない。
 みんな自分ひとりのことで忙しいのであーる。
 てめえは、他者・他人の『いわゆる』陰なる努力とやらに目もくれない癖に、自分のだけは見ていてほしいだなんて、おい。露出狂かっ。
 自意識過剰かっ。
 なんだその下心。
 そんなの誰も見ていない。
 気付いてもいない。


 見られていなくても、
 お前は、やるんだよ。

 
 家の前に野ぐそを垂れた『のら犬』に、怒って野ぐそをたれかえすのは、どうだろう。
 ギャグとしてはビミョーだ。
 パフォーマンスなら前衛すぎてついてけない。
 有体に云っておバカさんというやつであろう。
 理路整然とのら犬を叱ったとて、同じこと。
 見られていようが、見られていまいが、気付いた奴がちゃちゃっと片付けてあげましょう。
 それだけのことっす。







 くり返す。
 この度の、レジ女子のちっちゃな苦難は誰ひとりとして見ていなかったのであーる。
 このあたしがちゃんと見ていたんだから、間違いない。
 
 
 







 ☾☀闇生☆☽