われわれ日本人は平和を願う国民だ。……て?
その『平和』は『日本人にとっての平和』を言っているにすぎないのでは?
誰にとっての平和よ。
その価値基準は、どこよ。
テロも戦争もそれぞれの国や文明、信教としての『自分にとっての平和』のためにおこってるんだということを、まずおさえときましょ。
自分の思う平和こそが絶対的な世界基準だという傲慢を、まずすてること。
自分、何さまだと。
くり返す。
人は平和を求めるがゆえに争うのだよ。
追伸。
卑近なことで連想してみればいい。
ケンカや争いごとというのは、てめえ私心にとっての安寧を求めてのこと。
その安寧、楽チン、楽しい、気持ちいいが他者の安寧、楽チン、楽しい、気持ちいいと衝突するからトラブルになるんでしょ?
たとえば日の出とともに大音量で聴くバッハをなによりの生きがいにしているじーさんがいて。
しかしその隣近所は朝の静寂をこそ愛していると。
ならばその価値観の相違点に争いのタネが芽生えるのでしょ?
ともすれば血の雨の降る事態に発展することも珍しくない。
恋愛の嫉妬がらみだってそうじゃないですか。
新入イジメを唯一の日々愉しみにしているベテランとか。
クレーマーとか。
他人の不幸は蜜の味、なんて公言してはばからないやからもいるくらいで。
そういった日常に垣間見ることのできるニンゲンの根っこをあらためれば、その延長線上の国際問題だって想像ができようというものである。
だから戦い争うことで、自分の安心や平和を勝ち取ろうとする人たちがいても、少しもおかしくない。
争うことにカタルシスを感じる人なんて珍しくないのだ。
いくら「自分の平和」を唱えようが、解決はしない。
問題はそこではないよ。
☾☀闇生☆☽