ジョン・ル・カレ原作、トーマス・アルフレッドソン監督作『裏切りのサーカス』DVDにて
舞台は東西冷戦下。
言わずもがな、ロシアがソ連だった時代のことである。
冷戦の名の通り、主な戦闘は兵士たちではなく諜報員たちが、人知れず弾薬を情報にかえて熾烈な戦いを繰り広げていた。
英国の先鋒は情報局秘密情報部MI6の諜報部門、通称サーカス。
対するソ連側はかのKGBである。
敵の策略によってボスと共にサーカスを追われたナンバー2スマイリーは、組織に残った四人の幹部の中にもぐら(二重スパイ)が入りこんでいるとの情報を得る。
ティンカー(鍵掛け屋)
ソルジャー(兵隊)
テイラー(仕立屋)
プアマン(貧乏人)
長年しのぎを削った彼ら同志の中から、裏切り者をあぶり出して行くことを決意するスマイリー。
なおも組織の中にありながら協力をおしまないピーター・ギラムを相棒に、あらゆる機密情報を洗い直して行く。
そして調査の果て、辿り着いた意外な黒幕の正体とは……。
以下、ネタバレ。
感心するのは東西冷戦下の空気が、画面に濃密であること。
これに尽きると思う。
街並みやら小道具やら、おそらくはそれらが完璧に再現されているのだろう。
あの空気感なしには、この映画は成立しない。
なんせスパイものとはいっても派手な銃撃戦もなければ、カーアクションも、はたまた緊迫度満点の敵地潜入シーンも無いのだ。
むろん少年心をくすぐる秘密のスパイ道具も出てきやしない。
さらに言えば、ボンドガール的な存在も無きに等しかった。
美女は出てはくるが、カメラで舐め上げるようなお色気シーンもなく、はたまた儚き恋愛で観客の情動をことさらに煽ることもなく、徹底したリアリズムを追求した男性映画であるし。
いっちまえば渋いおっさん臭しかしない。
そう、おっさんだ。
おっさんでむせ返っているの。
酔うべきは、そのリアリティだろう。
正直言うと、あたくし程度のおつむでは、たった一度の観賞では物語を把握できなかった。
人物や組織の相関関係が複雑で、かつ登場人物が多く、さらにそれぞれが呼び名を複数もっているのである。
たとえばサーカスの幹部のひとり『アレリン』は『ティンカー(鍵掛け屋)』との異名をもつし、部下には『陛下』とも呼ばれ、上司は彼を『パーシー』と呼ぶ。
主人公『スマイリー』は『ジョージ』でもあるし、
『ヘイドン』は『テイラー(仕立屋)』でもあり『ビル』でもある。
んが、それがリアリティというものではないかと。
『京子さん』は子供には『お母さん』とも呼ばれ、旦那には『キョウ』とも呼ばれ『おい』とも呼ばれる。同級生はみな『お京』と呼び、パート先では『橋本さん』と呼ばれ、陰ではバイト達に『京ばあ』と呼び捨てられて、飼い猫は『ニャアア』と甘えてくる。
細かくさりげない伏線も随所にちりばめられて、そもそもが初見で理解されようと考えて作られていないのは、これでも明らかだ。
事実、二度目、三度目と観賞を繰り返すうちに細部と全貌が明白になって深みが増してくる快感は、(いわゆる)ハリウッド映画では得られない貴重な感触ではあるまいか。
そんな絡みあう相関関係で重要なのが、それぞれの性関係だった。
ギラムもヘイドンも、のっけから女ったらしの振る舞いをしているが、実際はああいうことになっているし。
それを踏まえたうえで、スマイリーの判断力を狂わせようとする例のアレを考えると、スパイってのは必要とあらば己の性的趣向まで変えるのかと。
あるいはそういうのもいける趣向だったのかと。
こわや、こわや。
と、
そう考えると、物語はハードボイルドなスパイ合戦の態をなしてはいるが、ひょっとするとこうも思えてはきやしまいか。
間
男
へ
の
復
讐。
ラスト。
一件落着して妻の元へと帰還するスマイリーの後ろ姿をもう一度思い出してほしい。
彼はそれを知っていながら、一切妻を咎めなかった。
耐えて、耐えて、私憤を殺して、間男に社会的制裁を与えた。
仕事として、処理した。
では、それで丸く収まったのか。
いや、それでも愛する者の『裏切り』の傷は、深く胸に残るのだ。
そして、それを耐えつつ彼は生きていくことを決意したのであろう。
ゲイリー・オールドマンによる、この背中の演技。
数十年前、彼は映画『レオン』のなか、ドラッグでキメキメになる様を、背中で演じて話題となった。
一瞬、闇生の脳裏にはそれが甦った。
社会性の中で証明される部分を大人と呼ぶ。
個人の公的側面である。
有体に言えばその人の『仕事』、『職能』といっていい。
つまり彼は私情ではなく、大人として貫いたのね。痴情の決着を。
そこで思ふのだ。
妻アンは夫を夫婦として裏切った。
んが、
そのアンがかつて夫への愛のメッセージを刻んでプレゼントしたライターは、敵のラスボス「カーラ」が持っている。
この辺りに、本編にははっきりとは登場しない妻の思惑があるのではなないかと。つまり裏切りの根拠として。
それからひとつ気になったのは、アンはヘビースモーカーであること。
そして、ライターをプレゼントされたジョージは、本編中ではタバコを吸わないこと。
タバコを吸わない夫に、普通、ライターをプレゼントするだろうか。
あるいは、何かをきっかけに禁煙しているのか。
クライマックスでジョージが口にするキャンディ(禁煙用?)を強調しているのは、そういう意味も込めているのだろうか。
などなど、この映画は観賞後にあれこれと想像が際限なく膨らんでいく仕組みなのであーる。
原作は元スパイの筆による名作スパイ小説で、三部作だという。
同じキャスト、スタッフでのシリーズ化を希望す。
追記。
邦題。確かに二流映画っぽいセンスだよねー。
1度目、2度目は字幕で。
3度目に吹き替えで観るのをおすすめします。
☾☀闇生☆☽