[社民ポスター「パパは帰ってこなかった」 集団的自衛権]
http://www.asahi.com/articles/ASG7J5KFBG7JUTFK00V.html
朝日新聞。
はたして、
生きていること、それのみが最上の価値なのだろーか。
そりゃあ、誰だって死ぬか生きるかという二択を迫られたら、漠然と「生きる」を選ぶでしょう。
死にたくない。
けれどそれが、誰かの死によって護られた生ならば、どうだろか。
それでも最上の価値だろうか。
その誰かの死には価値がないのだろうか。
さらに言えば、その『誰か』は誰なんだろうか。
親か?
肉親か?
恋人か?
伴侶か?
同僚か?
あるいは友だちか?
いや、親も肉親も友だちもいる安寧の世が、他国の『誰か』の命に守られていたとしたらどうだろう。
もとい、「護らせている」としたら、である。
しかも、こちらはその他国の『誰か』のことを、一切面倒みないと高をくくっていたら。
お互い様、でなかったら。
どこかの誰かに平然と命を掛けて護らせて、自身はのおのおと鼻毛を伸ばしている親を、社会を、国を、子供たちはどう見るのだろう。
どう少なく見積もっても、もてねーわな、そんなやつ。
有体にいって、ダサい。
国がまるごと自立できていないくせに、子には「自立しなさい」とかぬかすのである。
そんな未来こそ、さびしい。
このポスターのように、膝を抱えて帰らない父を待つ境遇を、同盟国に『のみ』丸投げしてるのって、どーよ。
追記。
昨日の機内へのハサミ持ち込みの話じゃないけれど、
いざというときには武器にも使えるようにしよう、という考えは一方的な攻撃だけしか想定しないのか。
護身の概念はゼロか?
バスジャックに乗り合わせたら、息をひそめてるばかりが正解か?
力を合わせて犯人を取り押さえようとする勇気ある乗客たちに「暴力反対」を唱えるのか?。
☾☀闇生☆☽