エミール・クストリッツァの『黒猫白猫』を観る。
かつて彼の『アンダーグランド』に打ちのめされて以来ずっと意識はしていたものの、そう思うあまりに生半可な気持ちで対峙してはいけないと、機を逃し続けていた。
こう書くとやたら重くてお高くとまった映画のように思われる。
たしかに『アンダーグランド』は、かつてあたしがビデオ屋の店長をしていたころに推薦しまくったにもかかわらず、大概の常連さんがそのパッケージのおどろおどろしさに慄いて、引いてしまわれるようなブツだった。
ちょいと一杯ひっかけた仕事帰りに観るのは失礼な気さえする。
ジャージで寝ころんで観るのは気が引ける。
たしかにあれはすごかった。
他国の人がそう軽々と感想をのたまってはいけない、そんな神聖な血なまぐささがあるのだ。
けれど、それは怒涛のクライマックスに至ってのことであり、語り口の基本は今作と同様にドタバタである。
彼の下地はあくまでスプラスティック・コメディーだと確信している。
ハチャメチャという言葉はもう死語なのかもしれない。
んが、画面は常ににぎやかに乱れていて。
その乱雑や野卑をきちんと調和させる計算高さに、彼の天才を見出すことができるに違いない。
乱暴なまでに大胆に描きなぐったようでいて、なにげに小物にまでこだわりがあるのね。
それは冒頭の二十日鼠の回し車を動力にした扇風機だったり。
コカイン入れにしている十字架のペンダントであったり。
ゴッドファーザーが乗りこなすカートや、揺りベッド。
差し挟まれるブラック・ユーモアも含めてどこかジャン=ピエール・ジュネの初期作品を連想させる。
おもちゃ箱感と言おうか。
けれどジュネのようなオタクっぽさはカケラも無い。
それから若いカップルがはじめて結ばれるひまわり畑のくだり。
少女が脱ぎ捨てたパンティを少年が被って追いかける、あのひまわりの黄と青空のコントラストだ。
ストーリーは至ってエンターテイメント性に優れている。
まずこの若いふたりの恋があり。
ところがその恋は親たちの強権で妨害されると。
少年の親がギャンブラーで。
負けがこんでつくった借金を、石油の仕入れで取り返そうとする。
しかしその元手が無い。
地元のやくざに出資を求めて上がりを分けようとするのだが。
やくざは一枚上で、その石油輸送列車をこっそりとジャックしてしまう。
そのうえで出した元出を返せと少年の親にやんやの催促。
しかし入るはずの石油が消えてしまい、むろん親にはカネが無いと。
そこでやくざは自身の妹と少年の結婚を強いてくる。
少年の祖父は孫の不憫を思い、一世一代の計略を決行することに……。
役者がいい。
多くがプロの俳優ではないのではないか、という顔のつくりをしている。
皺や歯並びにそれぞれの人生が刻まれているかのような深みがある。
特に少年の祖父。
不治の病らしき彼が病院を出ていくくだりだ。
孫が連れて来た楽隊の調べで、
「音楽っ」
と彼は目を覚ます。
して瞬く間に精気を取り戻す。
踊りながら看護婦に賄賂をつかませ、そのまま退院してしまうというくだり。
「人生はすばらしいっ」
音楽と酒。そして友と。
彼の親友であるゴッドファーザーの白内障気味の瞳。
少女の母親のまるっこい愛らしさ。
くぎ抜きの歌手のあたりで、それらデフォルメされたキャラクターたちにフェリーニの後期作品を感じた。
映画をサーカスと捉えているフシがある。
おもえば『アンダーグランド』も主人公たちの道化っぷりが強力な推進力だったっけ。
見始めたら惹きこまれるまであっという間だ。
おすすめ。
☾☀闇生☆☽