今夜のJ-wave。
小曽根真のOz Meets Jazzはビバップ特集だ。
のっけからミントンズ・プレイハウスのチャーリー・クリスチャンがかかっている。
つづいて今がチャーリー・パーカーかな。
高校時代に親しくなって共にロックバンドを組んだこともある同郷人が、上京してまもなくJazzにのめり込んだっけ。
ロックのルーツへ、ルーツへと遡る過程で必然的にブルーズにかぶれ、その経緯でのJazzへの帰結であった。
Jazzもまたやはり古い時代のものにしか魅力を感じないようで。
自分の生まれる前である50年代の音源ですら、新しすぎて受け付けないという耳を獲得するに至る。
よく「好きこそモノの上手なり」という。
んが、
ついには専門誌の編集に携わるようになっているのだから、恐れ入るしかない。
遊びに行けばいつも部屋にはビバップ時代の音源が流れ続けていた。
「飲みに来い」
という割には会話など上の空で、こちらが持参した酒にもほとんど口をつけず、ひたすらBGMの選曲に勤しんでいた。
イコライザーとボリュームの微調整に余念が無かった。
今にして思うのだ。失礼にもほどがあると。
「聞かせたいのがあったら持ってこい」
毎度そう言ってくれるので厳選に厳選を重ねたお気に入りのCDをかかえて尻尾振って駆けつけるのだが、これまた聴いてくれたことなどほとんどなかったのである。
おそらくはひとつとしてあたしの趣向は記憶していないに違いない。
同棲していた恋人と別れると、毎週土曜をアパートに誘ってあたしにJazzを聴かせ続けたものである。
おかげでJazzもまたお気に入りの音楽となり、結果セロニアス・モンクやキース・ジャレット、パット・メセニーを知っていくことになった。
あたしの場合はただそれまでのことである。
何にしても中途半端だ。
所詮は恋人と別れてぽっかりと空いた間を、ただお手軽に紛らわせるためだけのお付き合いだったのだ。
よくあるモテナイ君の使用法である。
土日が勤務のあたしに合わせてくれることは、ついになく。
こちらは深夜まで付き合って、その臭い体のまま日曜の朝に出勤する日々であった。
そこにロックバンド特有の友情っぽいものを確信していたのだから、あたしもうすっぺらではないか。
残念。
住所も電話番号もついに記憶されたことがなく、必要になるその都度に問いただされて閉口した。
なんなんだこのモテなさは。
便利なお人よしというやつは、大概において自己陶酔で終わるものなのだ。
献身への見返りは、幻想だ。
片思いだ。
ばかりか反面教師トークのネタにされていたというのだから、気付けよというやつである。
で、社会的に成功していくやつというのは、そんなのにはお構いなくやっていくのである。
いたるところで、それを利用する。
自由とは自在に生きるということである、とは押井守や森博嗣の言葉だが、己の自在は他人の不自由に支えられている。
支えさせている。
これが相互関係に至れば理想なのだろう。
けれど、今の現場で切に思うのは大概においてお人よしの献身は顧みられることは無いということだ。
だれもそんなのを気にしていない。
人の嫌がる作業を自発的に率先して処理しても、好きでやっている、と解釈されて終わる。
いや、そういうやっつけの上に自在もまた成立している。
成立させようとする。
いつしか「動くやつが馬鹿をみる」そんな風潮が現場を占めていく。
処理しなくてはならない案件が発生しても、言われるまで気付かないことにする。
俺の仕事じゃないし、と。
結局、そんなこんなで契約事項以外の作業が、一日の大半を占めることになってしまった。
二人分頑張ったら、人数を減らされた。
不自由極まりない。
それらは指示の外側のことであるからして、あたしの善意で、つまりがボランティアとしての関わり方なのだが、となればそれで怪我をしても補償の問題がちゅうぶらりんという事態。
それはよいとして。
そういうことにして。
前職でもそうだったのだが、良かれと思ってした手伝いが、いつしかあたしの担当になってしまう。
いや、そういうやっつけの決め付けで、上は楽をしようとする。
有体に言って、怠ける。
その善意の手伝いを、あるときうっかり忘れるなり、休むなりすると上はそれをサボりと解釈する。
ポカしよったと。
となれば、指示されたこと以外は何一つやらない、初めから動かなかった奴の方が印象は安定しているわけだ。ミスも少ないわけだ。
それが上と一緒になって陰で罵ったりするからたまらない。
あたしのことはともかくとして、その風潮がチームに悪循環を生むことを、上はまるで気にしていないようだった。
それでいて部下が「動かない」と嘆くのだな。経営者は。
積極性が、自発性が、主体性が無いと。
動くやつに馬鹿を見せたのは、いったい誰だという話である。
その前の職場でもそうだった。
ならばそういうものなのだ。きっと。
話が大きくそれた。
それぞれに強い個性を保ちながら、ほどよい依存関係でまとまっている。
馬鹿を観ず、馬鹿も見せず、
主張し、主張させ、
調和も意識してと。
良いジャズ・セッションは対人関係のお手本でもあるのです。
スキャットを終えて席に戻るチェット・ベイカーのシャイネスぶりと、それを見守るスタン・ゲッツがいいね。
せめて友だちが欲しかったな。
そんなもの、ひょっこり落ちているもんじゃないのだけれど。
己を映す鏡のようなものなのだろうけれど。
だとすれば、
人に好かれたことがないということは、
その実、人を好いたことがないということなのかもしれない。
やっと傷口のかさぶたが乾く。
なので昨日から久しぶりの入浴を愉しんでいる。
リアルを一巻から読み返し始めている。
追記。
そうだった。
いい奴、というのは自分にとって都合のいい奴のことをいうって、談志に教えられたばかりだった。
いい会社。
いい先生。
いい仲間。
いい男。
いい女。
いい店。
いい音楽。
いい映画。
いい景色。
いい政治家。
いい病院。
いい老後。
いい話。
いい人生。
いいこいいこ。
☾☀闇生☆☽