いわずもがなタイトル買いである。
トンデモ本かと思いきや、乱歩賞のお墨付きではないか。
いわずと知れた世界的名著『カラマーゾフの兄弟』。作者のドストエフスキーにはその続編第二部の構想があったというのは、亀山郁夫の本で知った。
有名な話なのかもしれない。
本書はその前作の作者の意志を継いで書かれた続編という体裁である。
設定は、あの事件から十三年後。
であるからして本作でのドストエフスキーはこの物語の『前任者』という扱いをされている。
よって原作を読んでいない人は、手を伸ばさないのが無難でしょう。
なんせ話は前作で描かれた事件の真犯人探しだもので。
事件は第一部で起きているもので……。
良し悪しは別にして、あたしゃ一気に読んだよ。
以下、ネタバレで。
著者は前作を入念に読み込み、張り巡らされた伏線を回収して真犯人を明らかにしている。
冒頭から前作のなつかしい人物たちに再会する喜びがあり、ぐいぐいと惹きつけてくれた。
十三年の月日で人がどう変化したのか、著者はその理由づけに多くのページを割くのだが、その根拠としてきちんと前作を引き合いに出していくところが面白い。
道義的に当然の振る舞いではあろうが、安心して読める。
けれど、それがまた両刃の刃で。
ときに強引過ぎやしまいかと思う個所が少なくなかった。
事件の経過や、アリバイなどを詳細に追っていくあたりはその緻密さが功を奏して本格ミステリーの感があるのだが、全体に理由づけを読まされてばかりで、肝心の文学が匂ってこない。
やがてこの理由づけが、言い訳として聞こえはじめる。
重厚で長大な原作の『続編』とするには、無論乱歩賞のページ数規定の問題もあるのだろうが、あまりに軽かった。
新たに登場する人物などは特にラノベ的で、浮いている。
あの天才的計算能力の女とか。
それはやはり現代の感覚で書かれている、もとい「作られている」からだと思う。
多重人格やフェティシズム、はたまたスチームパンクよろしくコンピューターまで登場するのだが、それらもまた決して当時のロシアにあって不思議ではないとの歴史的事実を背景にした説明を読まされるのだ。
そのご都合ありきで根拠をでっちあげる説得力も剛腕だ。
んが、
ああそうですか、と思う。
んなことより肝心な文学をください。
なるほど『罪と罰』にしろ『カラマーゾフの兄弟』にしろミステリー構造ではあるのだろう。
けれどいくらその意味するところが広がったとはいえミステリーというひとつの分野では語りようがないところが、ドストエフスキー文学の巨大さなのである。
ましてや前作のカナメともいえる宗教や善悪に対する壮大な問答や苦悩が、まるごと抜け落ちたかのような人物設定では、まず太刀打ちできないだろう。
いや、言いすぎた。
けれど一面的であることは確かだ。
ドストエフスキーの凄味は、それら相対する思想や信条を平等に闘わせて、一方だけを贔屓にしないところだろう。
神と悪魔が拮抗するところであり、
答えありきで書かないところだろう。
そこを軽視するあたりが……、
いやそれも言い過ぎた。
理由付けに注ぎ込んだ執拗な粘りをそこに発揮しないのが、ひょっとすると本作に感じた現代の感覚の正体なのかもしれない。
ここで動いているのは紛れも無く現代人だ。
ましてや母なるロシアの大地など、響いてくるわけもなく。
すいませーん、
文学くださーい。
もっと濃いの。
繰り返すが、一気に読んだ。
いろんな意味でおもしろい。
あなたもまた『カラマーゾフ〜』を読みたくなるに違いない。
賞のページ規定を外した『完全版』でも構想していたのなら、読んでみたいものである。
あとは前作のように本作が時の淘汰をどれだけ耐えしのぶのか。
そこが見所です。
追記。
しかしまあ、これをやる度胸と野心には驚嘆させられます。
脱帽します。
もちまえの気質はもとより、
著者が原作者にとっての異性だからこそ持ちえた度胸かと。
有体に言えば女だから書けたのではないかと。
かの文豪を「所詮はたかが男ぢゃないか」と、
みんな女から生まれたんぢゃないか、と胎の中で見なしていない限り、とても手を出せるシロモノではありません。
男には書けません。
書けません。
今もなお世界に賞賛されるあれほどまでに勇壮雄大なチ○コを見せられたら、後任を名乗り出る男なんてありえません。
パンツ脱げません。
さらに付け加える。
11/12付。
時間をおいて物語を反芻するほどに「これは必然的な展開なのであーる」というような、反論封じと言おうか、自他への説得と言おうか、要するに言い訳が煩くなってくる。
そう書かずにはおられないほど、原作ファンもまた巨大であるということか。
言わずもがな、ドストエフスキーならあんな書き方はしない。
もひとつ。
巻末に乱歩賞選考委員たちによる選考経緯文が付せられてある。
驚いたのは、なかにひとり原作を読んでいない人がいるということ。
皮肉ではなく言うが、
あれほどの名著であっても、読まずに文学賞作家にはなれるということだ。
それを資質というのだろうか。
才能ともいうのだろうか。
むろん、たまたまこれだけ読みもらしていて、生涯の読書量は膨大なはずだけれど。
☾☀闇生☆☽