好き嫌い、は価値や行動判断の起点になることが少なくない。
だもんでそれを意識することは大切なのだ。
けれども、
重要なのは『好き嫌い』に『とらわれ』てはいけないという点かと思ふ。
たとえば『正しさ』とか『事実』とかは、『好き嫌い』から遠く離れていることがままある事なのだし。好きと嫌いが一晩で真逆に入れ替わることなんて、ちっとも珍しくない。
だもんで好き嫌いでモノを見ていると、大概が判断をあやまるのね。
政治家への投票のように。
100年の恋もふっとぶ旦那のゲップのように。
そして、ええいままよ、と。
間違えてて結構だと。
結構毛だらけ猫灰だらけ。お尻の周りは糞だらけ。
いっそこの『好き』に心中しようぢゃないか、という「篠沢キョージュに、ぜんぶ」という心意気こそが、本物の好きなのです。
はずれてジョートー。
はらたいらが正解なのは百も承知で、そっちに賭ける。
あいだをとって竹下景子でもなく。
あたしは何を言ってるのでょーか。
ある種の、人を好きになる行動を『あやまち』といふ。
好き、は覚悟のもとに発動すべし。
☾☀闇生☆☽