ソフィア・コッポラ監督作『SOMEWHERE』DVDにて


 スティーヴン・ドーフ主演。
 ハリウッド・スターの一見派手で賑やかな私生活。
 その喧騒の渦中の、さながら台風の目のように凪いだおだやかな孤独を描く。








 家庭を顧みない夫との生活に疲れて、妻が出ていく。
 彼女が置いていったたったひとりの娘と、彼は数日間を過ごすことになる。
 パーティとオンナを日替わりで繰り返して行くスターの生活だが、彼はどこかそれに飽いてもいて。
 有体に言って退屈している。
 エージェントが取り仕切るスケジュールに、惰性で身を任せているばかり。
 仕事に情熱があるわけでもなく。
 かといって娘を溺愛しているわけでもない。
 そんな日々を映画は、悲観でも楽観でも無く、淡々とつづっていくのだ。


 事件らしい事件も起こらない。
 娘が誘拐されるとか。不治の病が見つかるとか。
 物語を推進させるセリフがあるわけでも、
 親子愛がことさらに強調されるわけでもないのに、これだけ画面を持たせるのはさすがというべきか。
 たしかに娘役のみずみずしさ、奔放さに助けられてもいた。
(にしても、どうしてああもカメラの前でリラックスしていられるのだろう。)
 が、やはり確固たる自分の語り口を掴んでこその画面だと思う。
 設定が『ロスト・イン・トランスレーション』と似ており、
 テレビなどの大衆文化や性風俗へのペーソスめいた切り口も、健在。女だねえ。
 いやあ今回も笑った。笑った。
 宅配ポールダンスの双子の姉妹は、彼女らのはにかんだ愛らしさも相まって、アクセントになっている。
 マッサージのシーンは、爆笑。
 それと、なんでこのシーンにこんなにまで間を使うのか。という個所が少なくない。
 別に退屈はしなかったが、ジャームッシュなどの影響なのだろうか。あれは。 

 気になったのは、脚本の存在である。
 あらかじめ練り込まれたものではないような印象を受けた。
 ロードムービー的な。
 ジャームッシュや、それからチャン・イーモウもそうだが、
 俳優たち、というより被写体たちの、自発するものを現場でつかもうとしているような。
 答えを思索し、求めるつづける旅を、監督がともにしている。
 よってその旅の過程そのものが、
 観客とのその時間の共有こそが、この手の映画のミソなのだが、哀しいかな映画である以上は終わらせなければならない。
 オチをつけねば。
 だから時として彼らは、唐突に予定調和に傾けることがある。
 自然物に唐突に継ぎ足された人工物のようで、違和感をおぼえることがしばしばなのだが、仕方のないこととも了承している。

 この映画の場合、特にそれを感じた。
 母をおもう娘の涙のシーンは、ギリだとして。
 ラストのあれはどうだろう。
 あまりにありがちなような。


 あたしゃ『ロスト・イン〜』のあのサゲにも、予定調和を感じて半ば萎えてしまったクチなので、本作のラストにもそれを思ってしまった次第。
 終わらせなきゃ、というやつね。
 それくらいそこまでのたたずまいが自然だった。




 映画にみずみずしさはある。
 貴重です。そこは。
 



 ☾☀闇生☆☽