ソフィア・コッポラ脚本・監督『ロスト・イン・トランスレーション』DVDにて
映画でこんなに笑ったのは久しぶりだと思う。
洋酒のCM撮影のために来日したハリウッド俳優と、
旦那の仕事に合わせて日本で滞在するアメリカ人の主婦。
言葉も文化もことなる国で味わう疎外感と孤独がいつしか共鳴し、ふたりは淡い親しみを感じ始める。
二人とも、とりだてて日本に興味があったわけではないところが、ミソだろう。
日本大好きでもなく。
大嫌いでもなく。
要は孤独のコントラストとして、アメリカ人から見た我が国の文化的奇異が、これでもかと紹介される趣向なのであーる。
だもんで、
そうそう。そうだろうな。うんうん。外人からすれば確かに変だよね。と客観視しつつ笑えるのだ。
そう。
これはコメディーなのです。
時にトゥーマッチにデフォルメされている個所もあるが、少なくとも印象的リアリティとしては、そうなんだろうと解釈できるはず。
なんせ監督自身が日本に滞在していた経験を持つのだし。
そのうえ本作を「半自伝的作品」とまで言っているのだし。
例のわけわからんコールガールとのくだりと、テレビのバラエティー番組のくだりはさすがに失笑するほかないが。
コールガールと言えばヤルだけ、という国柄から来て見れば、日本のそれは多種多様でルールもコースも細分化されてきっと珍奇なのに違いない。
日本的なのに違いない。
もう一方のバラエティー番組はといえば、まあ、あんなもんでしょう。
意味の無ささえ際立てば。
CMディレクターとの理不尽なやりとりは、本国では日本語に字幕がつけられなかったということを思いあわせれば意図がわかりやすい。
だからあれはそんな外国人的な目で眺めればよいのだ。メガネを獲得すれば。途端に主人公ボブの困惑に共感するだろうし。そこを笑えると。
そのメガネのおかげで本編中にあらわれる見慣れた街並みも、行き交う人々もそういう風に観ることができることでしょう。
そこがこの映画の主たる収穫となることでしょう。
この、古女房をあたらしい恋人として見つめ直すような新鮮な体験こそ、おもしろいのだよ。
ストーリーはどうってことない。
上記したとおりで、それ以上にも、以下にもならない。
人生のところどころでふと訪れる、目的の消失と言おうか。
迷いと言おうか。
さびしさや。
ちょっとした孤独を、それぞれに感じあえる仲に出会えたということ。
旅の空でね。
しかしそれは決して恋にも至らず。
友情といえるほど継続もしない、だろうと。
束の間、背中合わせにうなずきあって、さようなら。
人生とは、そういうことだ。
ビル・マーレー好演。
それに尽きる。
本人役と言ってもいい。
自然に演じている。
音楽。
挿入曲は良しとして、全体をひっくるめる役割の映画音楽の部分があまりよろしくない。
やすっぽい。
ラストのあれは、蛇足だと思う。
いかにもなアメリカ映画的おとし込み方になってしまった感がある。
いじわるな言い方をすれば、観客に媚びている。
要らないよ。
別れたらスパッとぶった切っていい。
ぶったぎることを前提に、ラストを練りなおせばいい。
もし、
これを観て文化的不寛容、無理解の不快を感じるのなら、
目くじらを立てるのなら、
そうまで戦勝国アメリカ人に理解されたがっている自分にまず気づくべし。
心に巣食う宗主国を自覚すべし。
『ラストサムライ』や『硫黄島からの手紙』そして『太陽』でも感じたのだが、そうまで正しい日本を描いて欲しいのなら、なにゆえ外国人にそれを求めるのだろう。
他人が描いた自分の似顔絵にいちいちへそを曲げているようでかっこわるいったらありゃしない。
まるで、市井の画家に肖像画を描かせてはそれに腹立てて描き直させる独裁者気分ではないか。
正しい日本、
というものそれ自体、実態があいまいで日本人自身にも掴みきるのは至難の業だし、はたしてそれを忠実に映像化することが映画になるかどうかは置いておいて、毎度毎度思うのだ。必要なら日本人が撮ればいいよね。
「正しい日本」
きっと航空会社のCMみたいな薄っぺらなものになるだろうけれど。
ここで繰り返しておこう。
これはコメディーなのです。と。
理解の強要ほど無理解な態度はない。
☾☀闇生☆☽
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