結局、
勘三郎主演で構想されていた歌舞伎版『贋作・桜の森の満開の下』は、実現されなかった。
無い物ねだりはいけないが、
桜吹雪のなかで死に狂いに舞うあのクライマックスを、一度、勘三郎で観たかった。
野田秀樹のコメントの素朴さが、彼が言葉のマエストロであるだけに生々しく、痛切。
自他ともに認める盟友といった間柄か。
本人たちの実感としては戦友だろう。
言うまでもなく『砥辰』は、このコンビならではのものである。
型破り。
それは、血肉になるほど吸収し、練磨した型を備えてこそである。
型が無ければ型なしだ、とは勘三郎の敬愛した立川談志の言葉で。
彼はまるでそれを地で証明するかのごとくに、走り続けた。
止まることを恐れた。
ひたすらに。
ひたむきに。
実のところ伝統とは、そんな大なり小なりのたゆまぬ変化によって保たれている。
水が流れつづけることで河が保たれるように。
つまり型をふまえつつそれを破りつづける。それこそが、伝統だ。
歌舞伎とは、型破りの伝統芸であると言っていい。
それを背中で見せたところに、彼の大きな功績がある。
☾☀闇生☆☽