デヴィッド・フィンチャー監督作『ソーシャル・ネットワーク』DVDにて
フェイスブックの誕生と発展にまつわる悲喜交々を、創設者のマーク・ザッカーバーグを中心にすえて綴っている。
ただしエンドロールには「随所に創作を加えたドラマです」との但し書きがされてある。
フェイスブックについてはまったくもって無知なあたしだが、少なくともざっとした流れだけはこの映画で理解したつもり。
映画ならではの感動も薄く、詩的好奇心も知的好奇心もそれほど刺激されることも無かった。
どいつもこいつも頭の回転、はええ。
ふうううん。そうなんだ。
ほおおおお。たいしたもんだ。
で以上。
発明のきっかけが学生の他愛も無い下心であるというのは、確かにおもしろい。
大衆の明け透けなすけべ心を推進力にして、社会的にのしあがっていくゲームだ。
が、それだけなのだ。
断わっておくが、フェイスブックについて云々しようというのではない。
批判するつもりはない。
褒めるつもりもない。
だいたいそんなものを知るために映画というものがあるのではないのだし。
検索すれば済むことである。
映画を観るからには、映画が観たいのだ。
映画ならではの感動が欲しいのだ。
デヴィッド・フィンチャーが監督していなければ、おそらくは観ることもなかったであろう。
だいたいにおいて、実話を題材にするにしては現在との時間差があまりに無さ過ぎはしまいか。
出来れば五十年。
最低でも三十年ほど経ち、
創業者がこの世を去って、
熱狂が時代の彼方へ遠のき、
風雪に耐えたその足跡が歴史のものなってはじめて、人物というものは見えてくるもの。
でなければ、単なる宣伝になってしまうでしょう。
唯一、思わず「おっ」とうめいたのは、エンディング。
BeatlesのBaby You’re a Rich Man。
イントロで痺れた。
やっぱかっけえ。
リンゴうめえ。
その歌詞が、
成り上がっても尚、自分をふった女を検索して追い続けるザッカーバーグへの皮肉になっていたのは面白い。
そうだ。
それで気づいた。
現在進行形で発展しているものを賞讃するのは映画には向いていないね。
戦時中の国威発揚映画みたいで。
批判的な視点こそ、映画本来の在り様だと思うのだが。
追記。
しかしまあ、この映画もパーティばっかだ。
寝ても覚めてもパーティとオンナとドラッグと。
とっぷりと洗脳してくれる。
あちらの国ではこれが本当にリアリティなんだろうか。
若者があんなに社交的なら、パソコンやってるヒマなんか無いよね。
☾☀闇生☆☽