壁の言の葉

unlucky hero your key


 とある中学校の改修現場にて。
 他校の生徒たちだろう。
 ジャージ姿の中学生たちが三十人ほど、校門からぞろぞろと入ってくる。
 それぞれスポーツバッグを肩からおろし、一か所にまとめるとグラウンドの縁に整列した。


「よろしくおねがいします!」

 
 頭をさげて一斉に叫ぶ。
 引率の教師もまた、生徒たちのうしろで帽子をとり、深々とお辞儀をした。
 何に対して?
 そう、グラウンドに対してである。
 彼らは他校のサッカー部員たちで、この日は練習試合に訪れたのだった。
 あたくし闇生もまた中学時代はサッカー部に所属していた。
 まだJリーグは発足していなかった頃である。
 やはりその頃の中学生もまた、敵地なり、試合会場に入る際に、頭をさげたものだ。
 逆に、他校のチームを母校に招待する場合も、同じ。
 やはり対戦者たちはグラウンドの縁に整列して、頭を下げた。
 これがないと、どこか穢されたような違和感があるのは確かで。
 それはもはや理屈ではなく、生理的にうずいてしまうほどで。
 人ではなく、グラウンドという場に対する礼節がいまだ脈々と受け継がれていることを、この日の現場でまざまざと知った次第。
 おそらくは高校野球の全国放映が、その啓蒙に一役かっているはずではある。
 けれど、この『場』に対する感知能力というのは、日本人独特のような気がするのだが。
 相撲でも、対戦者へのそれとは別に土俵そのものに頭をさげている。
 この、なんと言おうか、


 結界、


 とでも言おうか。大袈裟か。
 ともかく、これらはそんな概念をもつ文化ならではなのか。
 いやはや、あたくし風情のおつむには到底手には負えないテーマに触れてしまっている。
 かつて、映画『もののけ姫』の取材のために宮崎駿スタジオジブリの面々は屋久島を訪れた。
 太古にはこの島国を覆っていたであろう広葉樹林の、その森の闇の底にある深山幽谷を体感しようというのが、旅の目的だったと思う。
 そこでは、普段は霊的なものなど信じない若いスタッフたちが、森の暗がりの一点を見つめ、
「何かいる」
 と、騒いだという。
 侵してはいけない何かを、感じたのだ。
 その感覚が、朝一で制作現場入りする際に、誰もいない部屋に向かって「おはようございまーす」と宮崎に言わせるのだろうし。
 そこにきっと居るはずの何ものか、まっくろくろすけや、コダマたちをありありと紙の上に生みだすのに違いない。
 そして、それをごくあたりまえにあたしたちは受け入れている。
 

 海外のスポーツの現場では、どうなのだろう。
 たとえば、開催中のオリンピックでは。
 現役時代のラモス瑠偉は、グラウンドに入る際に、必ず小さく十字を切って臨んだ。
 そして験かつぎとして、いつも決まった方の足で、そのラインをまたいだ。
 もし負けたら、次の試合は違う足でまたぐと言っていたような。
 あれはブラジル人だったころからのものなのか。
 日本人になってから身についたものなのか。
 なんにせよ、あのラインがルールだけではなく、精神的なけじめにもなっていることは確かだろう。

 
 どうだろう。
 この光景を仮に科学的に観てみるというのは。
 場に、頭をさげる。
 アホこいているだけである。
 合理主義的に見つめてみる。
 なんちゅう不合理な。
 ゆえに、それを文化と言ふ。
 

 けれど、あたしたちは、何かとこの感覚に拠ってやりくりしている、……はずだ。
 で、その境界を土足で踏みにじる無神経に、憤る。
 身近で言えば、電車内のマナーもまた、そんな感覚の延長のような気もしている。
 この感覚が無い、もしくは鈍い、あるいは違う人たちが居て。
 国旗に頭をさげない国会議員がいるのいないのという話もあるが……。
 もはや暗黙の了解では通じなくなっているのかもしれない。


 とまあ、
 ここまでぐだぐだと書いてきた。
 で、あたくしが何を念頭に書いているかというと。
 何のことは無い。ケービの現場のことなのだな。実は。
 等身大のことを考えている。
 この結界的なものを、いかに感じさせるかという状況が多々あるのね。
 カラーコーンとそれをつなぐトラ柄のバーで隙間なく区画した現場なら、どうってことは無いの。
 でもそんな現場ばかりでは無い。
 たいがいは作業員が頻繁に出入りするので、完全に作業帯を閉め切るということは不可能だ。
 カラーコーンだけでそれを示すには、その配置の間隔の加減にコツがいるのね。
 なんせ隙間は空いているのだから。
 通りすがりの第三者が侵入しようと思えば、できないことはない。
 けれど、入ってはいけないとこなのだな、と感じさせる。
 そのうえで、どこを通るべきかが分かるという。
 それを体一つで感じさせなきゃならない時もある。
 たとえば横断歩道のライン引き。
 聴覚はヘッドホンに、視覚はスマホに釘づけの集団を相手に、やるんですわ。あたしたちゃ。
 見りゃわかるだろ、てな状況なのだが、そもそも見てないから。
 聞いてないし。


 トラバーを、ハードルよろしく飛び越えて現場を横切ったOLに遭遇したことがある。
 びっくったわ。
「あ。○○ちゃん」
 の呼び声に気づいて、わあああっとなってその友だちに手を振りながら、感極まって飛び越えた。
 ハイヒールで砕石をごりごり踏みしだいて、そしてまた反対側のトラバーを飛び越えて友のもとへと。 
 最短距離だといえば、最短距離だろうが。
 どうなんだ。
 いろんな意味で、どうなんだ。
 安全だとか。大人なのにとか。運動能力云々以前に、どうなんだよ。
 がっつんがっつん工事してるっつのに。
 すげえよ。
 なでしこJAPAN。




 お。
 もうこんな時間か。
 握り飯作って、エロ屋へ出勤しなければ。
 かくいうあたしも、開店前に店の電気を点けつつ、必ず言いますよ。
「おはよーございまーす」
 だって居るかもしれないじゃありませんか。
 エロの神々が。






 入っちゃだーめ。




 めっ。


 ☾☀闇生☆☽