壁の言の葉

unlucky hero your key

 
 脱、エロサイトーっ!




 仮にそう叫んでみたところで、どうだろう。
 ある意味、父と母の熱きエロの結実としてあたしもあなたもあるわけで。
 嗚呼それなのに脱エロサイトとはけしからん、と。
 これまでさんざん見倒してきたくせに、何言っとるか! と。
 金輪際エロ本も、エロ漫画も、グラビアも見るな。
 風を切って街をゆくホットパンツの、あのにょっきりむっちりとした美脚も見てはならぬ。
 と、そういう事にはならんのだ。
 脱エロサイト。
 それすなわち、脱エロという意味にはならないのである。
 大前提としてそう踏まえたうえで、あたしたちは考えなくてはならない。
 日々昂ぶり、荒ぶる欲情を、エロサイト無しで処理できるか否かを。


 いわずもがな、原発と電気のことを考えようとして比喩を試みた。


 で、失敗した。
 そんなもんだ。うちのブログは。
 教授の「たかが電気」発言について考えていたら、なぜかこうなってしまった。
 「たかがエロ」と。
 すまん。
 そりゃあ教授の言葉っ足らずも悪い。
 んが、その揚げ足を取ってDisった産経も立派に幼稚だ。
 まあいい。
 正義なんてものは取りあつかいが難しくて。
 正義の旗のもとに共鳴し、集えば、いつしか連帯が生まれる。
 高じて運動化すれば、そこに必ずカタルシスが芽生える。
 いけいけどんどん。
 所詮は音楽家である。酔えば言葉っ足らずにもなるだろう。


 ちなみにのたまう。
 かつて名チェリストパブロ・カザルスは、演奏しない、という態度でフランコ政権への抗議をした。
 それが音楽家としての戦い方ではないのか。
 作法ではないのか。


 話をもどす。
 学生運動世代の思い出話には、かならずこの連帯の酩酊へのノスタルジーが臭う。
 酔っぱらいが肩組んで歌う『同期の桜』である。
 よりによって軍歌とは皮肉な話だが。
 集団の陶酔は暴走を生む。
 革命は、そんな熱狂を渇望する。
 ヒトラーは群衆の喝采から産み落とされたという。


 といって、冷めたままでは埒が明かないのも事実で。


 そんな静観が熱狂への冷や水になってしまうかもしれない。
 しらけほど哀しい社会的態度はないのだ。
 いや、むしろ茹で上がろうとするうどんの鍋に投げ込まれる一杯のびっくり水になればいいとも思う。
 革命は、行き過ぎたあげくの揺り戻しがつきものなのだから。
 んが、そううまくもいくまい。
 そもそもコトは、あたくし程度のオツムには複雑すぎる。
 所詮その程度のつたない分析力で、軽挙妄動よろしく群れるから、ズレテくる。
 脱原発運動はいつしか反核となるだろうし。
 ならば反戦も、といった具合にとりこまれてしまうだろう。
 いけいけどんどん。
 それぞれに精査しなければならないのに、熱狂のほうは待っていてくれない。
 正義の御旗を掲げ、
 勢いついでに戦時中への批判、糾弾もやるにちがいない。
 ええい、きっとそうだ。


 はたして無くなっても大丈夫なのだろうか。エロサイト。
 もとえ、原発
 極端な無理を強いない程度には行き渡るのだろうか。エロ。
 もとえ、電気。
 無論、
 いますぐ無くなっても諸事うまくいくのなら、それに越したこたあないさ。
 就職先が決まったのなら、今日にでも原発、卒業しようじゃあーりませんか。
 思うに、必要なのは有名人たちの扇動ではないのだ。
 利権だ、保身だ、しがらみだのにまみれた組織的な売国でもない。
 いっときのカタルシスもいらん。
 いらん。
 いらん。
 連帯のための連帯や、運動のための運動からも距離をおこう。
 利権や組織的なしがらみもまた、たぶん似たような経緯をもつはずだから。
 いまは確かな資料によって精査した頭のよい人たちの分析が、解説が欲しい。
 どうか人気取りには陥らずに、
 徹底的にやらかしてはくれまいか。




 




 あたしはといえば、


 馬鹿でございと自覚につとめ、
 無関心にならず、
 諦観もせず、
 なんちゃって達観をかまさんよーにしながらも、
 熱した空気には流されまいと、やはり馬鹿のままでいくのであーる。








 ☾☀闇生☆☽