水、木と猛暑の中でのケービでござった。
特に木曜は休憩中も日影にすら逃げ込めない状況で。
丘の上の日向のベンチで新聞をかぶってやり過ごした。
読むか、かぶるか、
でいったら読まずにかぶるしかない。
そうして浅田次郎の『憑神』を読み終えた。
あえて文庫本を帽子にして新聞を読むという馬鹿は、しない。
それくらいの知能は、あるのだ。
眼下に鶏舎があって、
そこの主人が鶏たちにホースで水をかけている。
その先には牛舎が見える。
入口を大きく開け放ったそこに巨大な扇風機が据えてあった。
夏は、500mlのペットボトル3本に麦茶をつめて現場に挑む。
そのうち一本は冷凍にして弁当と一緒に保冷バッグに放り込んでおく。
どれも熱中症対策として塩を一つまみいれてある。
味よりも、生命優先なのである。
この期に及んでもなお、生きたがるのである。
スポーツドリンクもいいのだが、一本や二本ではとても一日が持たず。何本もあれを飲んでいたら経済的でないばかりか、まず胃がやられてしまう。
糖分のあるものはとくにそうだが、飽きるのだ。胃が。
体中の汗腺から噴出した塩分が、服に白いシミを作っていく。
なのでただの水ばっか飲んでいると、こんどは体内の塩分濃度が落ちて行ってしまう。
大きな現場なら元請けが塩飴を配布するのだが。この日は、それも無い。
最初の二本は午前中に飲み干してしまい、持ち場近くの公園の水飲み場から追加補給することに。
通勤に自転車で一時間かけているのだから、当然といえば当然のペースだと思う。
氷麦茶も午後には使い切って。
幸い、午後の休憩回しのときに夕立となった。
この日はとある分譲地でのケービ。
住人さんたちがおだやかなのが救いである。
迂回のお願いも「お互いさま」的に笑顔で受け入れてくださる。
ありがたし。
そこはやはり、ありがたし。
分譲地だからこそなのか。
真新しい住まいで、心がうれしく広やかになっているのか。
自分の家が建ったときも同じような迷惑を周囲にかけていたのだという想像が、リアルにできるのだろう。
でもなあ、
一般住宅も同じなんだけどなあ。
水道の引き込みにしろ、歩道の切り下げにしろ、ガス管の敷設にしろ。
『憑神』。
ひょんなことから悪霊の稲荷に手を合わせてしまった侍が主人公。
幕末から維新への激動のなか、貧乏神、疫病神、死神に憑かれてしまう不運な男の奮闘を描く。
冴えるのはおかしみあふれる豊かな文体だ。
それに尽きると思う。
ゆえにこれの映画版には興味がわかない。
演技でやられたんじゃたまらない。
有限となって初めてかがやくのが人生。
このあたりまえのことがニンゲン、なかなか受け入れられない。
どうあがくか。
しかる後にどう腹を決めるか。
そこにミソがある。
主人公が真剣な真人間だからこそ、おかしいのだな。これは。
侍らしい侍だから、笑えてしまうのだ。
当人はまじめで、真剣。
人を思い出すとき、笑顔にさせるのはきっとそんな記憶ばかりである。
とまあ、さらりと読める一遍だった。
んが、
どうだろ。
自分にもなにか憑いてるんじゃないかと、思ったり。
思わなかったりして、日がな一日炎天を背負ってました。
☾☀闇生☆☽
帰り道。
夕立のあとの街。
河辺の向かい風。
心地よし。
よしよし。