そうか。
『すべらない話』が放送されたのね。
あたしゃ地デジ化をこれ幸いとしてテレビの無い生活にしておる。
よって、そういうのに疎い。
知ったことか! である。
ワイルドだろう?
んが、
人様からすればそんな生活はおそらくはみすぼらしいのだろう。
お情けのつもりなのか、
例によって例のごとく放送後にそれを伝えてくれるまことにもって余計なお世話な御仁がござってな。
職場で滔々とそのトークを再現してくださるのな。
曰く、
「今回はパッとしなかった」
ほおお。
それ毎回言ってねえかい?
んで、
トークを思い出し思い出し、かつ、つっかえつっかえやらかしては、
「こんなのっすよ。面白いっいすか」と。
訊くな訊くな。
同じネタでも演者と場によって、まるで違うのだ。
たとえばそれは音楽のようなもので。
同じ曲でも歌う人が違えば、まるで違う。
フレディ・マーキュリーとポール・ロジャースでは違うでしょ。
善し悪しのことでなくてね。
ましてや彼らはプロだろうに。
これまで何度も何度も何度も書いたが、あの番組の本質は『すべらない』ではなくて『すべらせない』パス回しではないの?
単なるウケル話ではなくね。
だからスベリ芸という振り逃げを嫌煙して、原則的に突っ込まないでしょ。
いまひとつのトークでも、シラケ笑いに逃げないでしょ。
大輔はいつもそっちに逃げたがりますが。
松本がそれをサラリと避けましたが。
他人の話に耳を傾ける神妙そうな塚地の顔とか。
猫のおどおどしたネガティヴオーラのただならなさとか。
恵の、そのお、なんつーか、どこかしっくりいかない、態度的位置とかさ。
そんなんひっくるめてが場の笑いでしょ。
ジュニアは得意のアシストを意識して控え気味にしてるなとか。
って、なんでそれを知ってるのかと。
テレビが無くて。
まあまあまあ。
音楽だって、リードプレイヤーだけのものじゃないはずだ。
てかね、つらいんだ。やっぱ。
あれを再現されるのが。
再現になってないし。
顔面の筋肉酷使するからね。こっちは。
「どうすか?」
の後、今回はさすがに言ってしまった。
「どうすかっつわれても。当人が話してるとこ見てみないと」
有体に云って、めんどくさいのよ。
すまん。
☾☀闇生☆☽