壁の言の葉

unlucky hero your key


 

 通りに面したそのおもちゃ屋の裏手へいくには、路肩からコンクリートの土手をおりる。
 安定のわるい下水のふたをガタゴトと踏み鳴らし民家を縫えば、そこがおもちゃ屋の裏側になる。
 通りに面した一階店舗の地下は、この土手の段差を鉄骨でおぎなっているにすぎない。
 といって、
 地下階をしつらえられるほどの高さもなく、むきだしだった。
 放課後はいつも友だちとふたり、腰をかがめ、息をひそめてこの暗がりの奥へと忍び込んだ。
 突き当たりで完全な闇になると、友だちが駄菓子屋で買った電池式のランプを得意気につける。
 そこから直角に方向をかえれば、やがて小さなダンボール箱にたどりつく。
 こちらが近づくのに気付いたのか、いつも鼻を鳴らす声がしていて。
 箱をのぞけば、そこに鼻の黒い雑種の子犬がいた。


 チビ。


 数日前の社会科見学でおとずれた地元の清掃センター。
 その前に作られたゴミ集積所に捨てられていたのが、こいつだった。
 友だちが密かに拾ってきて、ここへかくまったのである。
 給食室からあまった牛乳をあさってきては、指につけて舐めさせた。
 夜がさびしかろうと、いつも点けっぱなしのランプを置いて帰った。
 間もなく秋になり、寒くなってくると、このままでは凍えてしまうとふたりで気をもんだ。
 それでなくても子犬である。いつも震えていたのである。
 級友にあたったが、貰い手はみつからず。
 意を決して自分が連れ帰り、親に直談判した。
 なぜかあっさりと受け入れられて、ウチで飼うことになった。
 聞けば、それまでも犬は何度か飼ったことがあったそうだ。
 ただしどれも血統証つきのコリーで、
 なんとかいうドッグショーで優勝した犬もあったという。
 あたくしの乗る乳母車を押してくれたそうだが、記憶にない。
 そんな優秀な犬たちからすれば、チビは露骨なまでの馬鹿犬だった。
 なにより鼻が利かなかった。
 目も良くなかった。
 放り投げたドッグフードを額に当て、落ちて転がるのを見失い、足元にあるのについに諦めるというアホぶりである。
 散歩も馬鹿みたいに先を急いで、はあはあ、はあはあと。
 とてもじゃないが、ドッグショーなみに飼い主と並んで歩くなんてことにはならない。
 引っ張り合いだもの。
 闘いだもの。
 おもむろに畑の土中に鼻を突っ込んだりする。
 で、奥へ奥へと潜ろうとひとり格闘した揚句に、結局は土を吸い込んでむせやがる。
 はやく戻ってテレビ観たいのに、いつもそんなことになる。
 かててくわえて所詮あたくしも子供であった。
 ご多分にもれず、飽きやすい。
 チビが大きくなるにつれて、可愛くなくなり、散歩もさぼりがちになる。
 ほったらかしだ。
 いや、放任主義といいなおそう。
 そのおかげでいつのまにかどこぞの野良犬とデキてしまった。
 まるまるとした子犬を六匹も産んだことがあったが、それとは知らず、その出産の最中に餌をやりに犬小屋を訪れた幼少のあたしは、びっくらこいて台所へ逃げもどったっけ。


「おかあさん。チビのお尻からなんかへんなの出てるっ」


 産みかけていても、飯ともなれば尻尾を振って駆け寄ってくる。
 そんなメスだ。
 子犬がうんこをするたびに、チビはそれがひり出されるそばから食べてしまうのだ。
 母によれば、子犬がいるという痕跡を外敵から隠そうとする母性ならではの行為なのだとか。
 とどのつまり、愛だ。
 けど、あたしゃ単に腹減っていただけではないのかと、いまでも疑っている。
 なんせ馬鹿犬だもの。
 そして、
 これもよくあることだが、うちもまた子供が拾ってきた犬は、結局は親が面倒を見ることになってしまった。
 あたくしが家を出て上京してからは、もっぱら母が面倒を見た。
 曰く、


「だあって、かわいそだっぺよ」


 そうだ。
 かわいそだった。
 目も鼻も利かず、
 芸も覚えず、
 わが子のうんこを食ってしまう捨て犬だもの。
 もっと可愛がってやればよかった。
 幼少期に拾った犬なんてのは、そんなものだ。
 大人になって後悔する。
 いまでいえば虐待と解釈されそうなほど、叱ったこともあった。
 いや、
 カッコつけんな。
 いじめていたのだ。憂さ晴らしに。
 いう事をきかない、と。
 学校から帰ってくるといつも、お座りして、首をかしげ、ちょっと右の前足だけ幽霊のようにぷらんと浮かせてあたしが来るのを待っていた。
 いま、それをやたら思い出す。
 

 真偽はさだかではないが、
 犬の年齢は七倍すれば、人の年齢に換算できるという。
 それでいけば、チビは百歳以上生きたことになる。
 最晩年は呼んでも起き上がらず、ひがな一日寝てばかりいた。
 若いころはあれだけあたしを恋い慕ったのに、声に応じて首をもちあげるのさえ億劫といった体であった。
 そのまま、文字通り眠るように、ある朝、動かなくなっていたそうだ。


 

 田舎の話である。
 母は父と相談して、いつも散歩に使った道の、海が見える防砂林の砂地にチビを葬った。
 なんだか出来過ぎた話だが、日本画をたしなむ彼女の事だ。精一杯の詩情でもって送りたかったのにちがいない。
 のちに、港湾の整備工事でそのあたりの風景は一変した。
 けれど、なぜかそこだけ手つかずにされた。
 その工事のせいか海流が代わり、砂浜が大幅に消滅した。
 それでも、その小さな丘は変化をまぬがれた。
 ところが、去年の3.11で、防砂林の地形は激変してしまったらしい。
 もはや、チビがどのあたりに眠っているのか、わからないのだという。


 数年前、
 田舎でふたりっきりで老いていく両親を思い、犬でもプレゼントしようかと持ちかけたことがあった。
 んが、
 あえなく拒まれてしまった。
 イキモノはいつか必ず死ぬ。
 ひょっとしたら自分より先に逝く。
 もう、あんな悲しみは沢山だと。
 コリーを失ったときにはそこまで感じなかったのに。
 俗に、デキの悪い子ほどかわいいという。
 チビが馬鹿犬だっただけにそう感じるのか、
 くわえて老後を共に死を見つめてすごしたからなのか、喪失感もひときわ深かったのだろうと思う。
 

「かわいそだっぺよ」


 今朝、たまたま見つけたYoutubeのペット動画を見ながら、そんな事々を思い出してしまったのだった。
 不覚。
 泣いたよ。
 ぜひ、
 Youtubeサイトで投稿主さんのコメントとあわせてどうぞ。






 
 



 犬。
 いつか飼いたい。
 犬との関係をやり直したい。
 できることなら、出会いなおしたい。
 おもちゃ屋の床下から。




 ☾☀闇生☆☽