NARUTO
 忍界大戦とか銘打っておきながら、戦術も戦略もないのね。これ。
 といって、
 繰り返し重要性を説いてきたツーマンセル、スリーマンセルといったフォーメーションもどこへやら。
 どんなに強い敵や、必殺技が繰り出されようが、どこまでもどこまでも個人プレイの積み重ねしかなくてね。もお。
 つまり1+1+1+1+……にしか見えないと。
 掛け算にならんの。
 ひとたび戦争ともなれば、宮本武蔵斉藤一も人斬り以蔵もなくなってしまうものでは。
 戦場での個々人の戦闘能力の影響なんて、微々たるものでしょ。
 たとえ天才武蔵が十人いたところで、長槍をもった百人の凡人が陣をしいて槍衾で取り囲めば、わけないでしょう。
 遠くから弓隊で集中射撃でしょう。
 それが合戦というものでしょう。
 そこにこそ少年ジャンプ的な友情やらなんやらかんやらを放り込むべきではないのかね?
 見境もなく、やたら血統主義で片づけてばかりだもの。この漫画。
 いやらしいわあ。
 血筋の良さが、偉さ、強さであるといわんばかりだ。
 そんな国って、どうなんすか。
 この国のご近所の半島にも、ございますが。
 リー君どうしたのよ。
 リー君。
 それと、まったく触れられていない補給線。これが闇生的には気になるのだな。
 軍資金はむろんのこと、
 クナイや起爆札などの忍具、医薬品、食糧補給の問題も組み込んだら、より重層的で面白かっただろうになあ。などと思うのだよ。あたしは。
 たとえば大東亜戦争の前線の悲壮は、そこにあったりしたわけでございましょ?
 哀しき補給線に。
 娯楽漫画とはいえ日本人なのだから、概念としてそこをおろそかにするのはどうでしょうかと。
 そうすれば万年下忍の老忍や、凡庸な忍びたちも活躍できるよね。
 あたしたち凡人はそこに自身を投影できるよね。
 命綱であるところの後方に、命のかけどこを知るよね。
 それこそジャンプ的なチームワークが描けるシチュエーションなんじゃないの?


 まだこれが血統主義ではなく、個々の能力。つまり個性として人物が描いてあればよかったのに、とも思うのだ。
 ロード・オブ・ザ・リングがそうだったように。
 その個性を支える土台に種族が、誇りとわきまえをもって描かれている点も頷けたし。
 そのうえでの種族をこえた結束で。
 その、対する敵は、最新鋭のクローン兵器を擁する大国だ。人海戦術だ。
 そんな強硬なグローバリズムに弱小集団がどう立ち向かうか、という戦争だった。
 そうならばだ、基本はあれだ、個人ぷれひの結集でいかうぢゃないか、となる。


 あれ?
 構図的にはNARUTOと似とるな……。


 なんであれ、
 HUNTER×HUNTERがまたもや休載に入る。
 となれば毎度のことだが、ジャンプを買う日々ともしばしのお別れ。
 おつかれ。月曜早起きの俺。
 単行本化されていない原稿がおそらくは二三冊分はたまっているはずだから、それをすべて整えて、んでもって発売するまで再開はないでしょう。
 NARUTOは、職場唯一の共通の話題のために目を通してきたまでであって、あたくし的にはペインによる「木の葉崩し」のあとの大量再生で見限っちゃったのね。心ならずも。
 大量再生というものは、大量殺戮以上の生命の軽視にほかならない。
 あれはいまさらどう挽回できるものでもないのであーる。



 ここのところ寝る前にNARUTOの初めの方を読み直している。
 やっぱおもしれえわ。初期。
 日向家って、木の葉の里で最も古い一族だったんだね。忘れてました。
 初代火影、柱間よりも古いということか。
 で車輪眼という特殊能力は、その日向一族のみに引き継がれる白眼の、ある意味亜種だったと。
 その割には白眼の存在感て……。
 日向家宗家のヒナタよりも才能を持つとされるその妹ハナビって、どこいっちゃったんでしょうか。
 忘れちゃったんでしょうか。
 そんなハナビや木の葉丸といった次の世代も、きちんと描いていかなくては『里』という時間の産物は、成立しまへん。






 ☾☀闇生☆☽


 追記。
 上記の個人プレイの足し算云々かんぬん。
 漫画に詳しいかつての後輩にその不満を投げかけてみたところ、
NARUTOは、横スクロールの格ゲーみたいなもんですから」
 とのこと。
 ああ。なるへそ。
 そういう世界観の人が描いているのだろうな。


 さらに追記。
 前にも書いたけど、この漫画の世界の忍び以外の人たち。
 ようするに一般人ってどうしているの?
 町も、もうずいぶんと出てこない。
 戦場も大平原、大森林、大荒野ばかりだし。
 風景としても抽象的になっていくばかりで、どうなんでしょか。