コンビニやケーキ屋の即席サンタたち。
イヴの夜は、おつかれでした。
あたくし的にはなんらはしゃぐことなく、
いつも通りの通勤と、
労働と、
素朴な生活品を使うぶんだけ買い、
いつも通りの道をたどって帰宅したまでで。
なんか知らんが、カウンターで支払いをするときに肩身が狭かった。
これも毎度のことですが、
この季節になると営業時間の問い合わせが激増します。
「今日は何時までやってる?」
『○時から○時で年中無休です』
「朝は何時から?」「年末は?」「じゃ年始は?」「正月休みはいつ?」
営業時間と年中無休を伝えた時点で説明はついているのだが、執拗に問いただしてくる。
で、
そこまでしておきながら、来ないんだ。
そういえば、何年か前も同じことを書いたなあ。
んが、
闇生は年明け早々に本業からは解雇か。
あるいは極端な減給か、という身分である。
時給制のバイトだけでシフトをかためて、自身は陣頭から身を引くというのだな。店長が。
つまり、
その程度にしか評価されていなかったということなのであーる。我々スタッフは。
専門店がそういうことでいいのかね。
ヘルニアの手術のあとの四ヵ月、彼が半ドンシフトだったのはいい。
あたしたちゃそれを支えた。
けれど、そのあとなし崩し的に半ドンを継続して。
いまでは週末の海釣りまで復帰させているというのに、仕事には完全に復帰しない。
きっと味しめちゃったんだな。
自分がいなくても、まあ、店はまわってはいると。
けれど、 それは観察が足りないか、
あるいは、目をそむけているのか。
店長含めてたった三人の店なのに、閉店間際に顔を出して、のおのおとその日のパチスロの戦績を自慢しているようでは、おしまいです。
人としても。
売り上げの低迷を震災と時代のせいにするのはかまわん。
んが、
やることやってからにしましょうよ。
小言に説得力がない。
部下というものは、上司以上には働かんもんだ。
責任者不在でも店がまわっているということは、極端なことを言えば、我が社いちぱんの無駄が経営者なのだと考えるべきではないのかね。
いい会社というものは、上ほど働いているものじゃないのかね。
人件費の削減というものは、減らしたぶんを社員や社長の尽力で埋め合わすものじゃないのかね。
てか、おめえの会社だろ?
もうね、
たたずまいとして、
街角のドクターペッパー押し自販機のほうが、よっぽど潔いぞ。
と聖夜に愚痴っておく。
で、ぐちにでぐちなし。
☾☀闇生☆☽
そうか「おめえの会社」。
これを私物としての意味合いで解釈している場合と、
社会責任として解釈している場合では、正反対になってしまうのだな。
追記。
なんでも一部では『就活自殺』なる用語が生まれているそうで。
嘆かわしい。
談志の「しあわせの基準をきめよ」というのは、世に喧伝されている幸福の基準にとらわれるな、という意味でもあるわけで。
庭付き一戸建てとか。
年収○百万とか。
そんなベタなお仕着せではなく、
世間体にとらわれないおまえなりの基準を、自前の幸福を、という意味としてあたしゃとらえている。
ちいさなことでいいのだ。
それこそが本当の宝だ。
なにも、お仕着せの犠牲になるこたないぞ。