かつてここで予想しておいた通りのデキである。
うん。
おもしろいよ。
少なくとも、つまらなくはない。
可もなく不可もなく、というエンターテイメントとしての手腕は一層磨きがかかっている。
けど too much な『押し』のぶんだけ、なにかが足りないという。
欲張りですまん。
かつて『Hana-bi』がベネチアで賞をとったとき、それについて市川準がこんなコメントをしていたことを思い出す。
もうこれ以上うまくならないで。
大方の人はこれをこうとらえたのではないだろーか。
専業監督からタレント監督への、嫉妬。
……を装った諧謔と。
んが、
さにあらずだ。
あの言葉は本音なのだな、きっと。
おそらくはいちファンとして。
ここであえてエロ屋として下世話な喩えをさせてもらうならばだ、プロっぽくならないでということである。
染まらないでと。
ショーバイとしての手垢のついたテクなんか、やめてやめてと。
なぜなら似合わないし。
説明を大胆に省いた時にこそ光る彼の魅力とは、ようはチラリズムであって、エンターテイメントという至れり尽くせりの説明過剰の表現法とは対極のところにある。
そう。Hana-bi以前はチラ見せだったのだ。
それは若き日の武の鬱屈といおうか、
持ち前のシャイネスであり、
それが言葉足らずで不器用なつぶやきに感じられたのだが、この『Hana-bi』では突如としてうまさが顔を出してしまう。
思うに、ここが良い意味でのアマらしさと、プロ的テクの分水嶺。
だから、あ。もうそこまででいいかんね、という市川の気持ちがわかる。
スレるなよということだ。
テクありきのショーバイではなく、
あくまで情念あってのテクということに、辛うじてだが、おさまっていたのだな。
その意味で、
あたしゃあれを彼の代表作と決めつけるのであーる。
それはもうえらそーに。
んで、
そのころよく言われたのが頻出する暴力シーンについてだった。
一時期はこれが武映画の看板のようにもてはやされ、そしてアンチ派には忌み嫌われた。
たしかに衝撃度は強かった。
けれども、こうして最新作『アウトレイジ』で繰り広げられる暴力シーンを見ていると、どうもやはりかすんでいるように見えるのだ。
なぜだろう。
以前よりも、より直接的かつ露骨になっているぶんだけ、哀しいかな味気がない。
とどのつまり、つまらない。
おかげで「暴力」シーンというものが、
「映画的な暴力」と言おうか、あるいはかっちょよくアクティビィティと言っちまおうか。そんなとんがり具合に直結しているとは、必ずしも断言できないということを再確認した次第で。
それはつまり、
ロックバンドのギターの音がひずんでさえいれば、それは暴力的かという問題と同じことで。
ボーカルが叫んでいれば、
あるいはギターだのドラムセットを壊しさえすれば、アツイのかということのよーなもので。
それ自体、手垢のついた模倣に過ぎないわけ。
悪い意味での伝統芸。
いや、宴会芸。
お行儀がよくて、丸いだけ。
外見はソフトに、中身はアグレッシヴに。とは高橋幸宏の言葉である。
それにならってのたまうならば、
『アウトレイジ』での暴力シーンに比べれば『ソナチネ』の砂浜の等身大紙相撲の方が、数万倍の破壊力があるぜ。
わかりる?
わかりない?
としておきながら、こう結んじゃおか。
ただしそれはある種の若さにしか表現できないシロモノなのではないのか、と。
意図して放出できるものではなく。
それこそテクだのみでなんとかなるものではないのだ。
んで、
この種のとんがり成分が摩耗するのを「老い」と言い。
して、摩耗ではなくそれが研磨ならば、あるいは「老成」と呼べるのであーる。
で、結論。
てか、願い。
枯れるな。
誤解をおそれて補足しておくが、
だからといってただ若いというだけでとんがれるものでもない。
年寄りが老いているとは限らない。
以下、
こまごまと。
相変わらず台詞に無駄が多いのは、若いころから変わらない。
目標が乗った車を、別の車で尾行するシーン。
ドライバーへひと言。
「あとをつけろ」
この「あとを」は要らない。
前方の車を顎で指して「つけろ」で充分。
なんなら顎で指すだけでもいい。
A「お前、池本んとこのカシラやって何年になんだよ」
B「二十年です」
A「あそうか」
この質問者の「あそうか」という受けも要らない。
うるさい。
意味が無い。
はしょって次の台詞にいけるはず。
数学的に映画をとらえることを説いておきながら、このような無駄がいたるところに目立っちゃってんのね。
あと外タレが下手すぎ。
邪魔。
それから、表情について。
さきほどのテク云々と重複するのだが、説明的すぎる。
エンタメ的にしようしようとする努力が、背伸びに感じる。
ニッポンジンらしく無表情が一番似合うんだよ。彼の映画には。
お話。
よく練られているのだろうが、そんなもん武に期待してないし。
ましてや組織内の騙し合い、出し抜き合いというのは別に新奇なことではないのだし。
で、そのベタさについては、別にいい。
映画なんてそんなものだ。
問題はヤクザの組分け。
観客は組織の構成を頭に描きながら鑑賞するほかないのだが、もっと視覚的なアプローチはなかったのだろうか。
なんせ全員がスーツだもので。
映画的体験というものは、物語とは別のところにあって、
ましてや構成図なんてものからはるかに遠いところに在るはず。
視覚にうったえるアイディアが欲しかった。
手前のことで恐縮だが、
かつて若いころ勤めていた会社では、事業部ごとに煙草の銘柄が統一されていた。
露骨に強制されていたわけではないのだが、いわば同調圧力というやつ。
変でしょ。
まいいいや。
なので、
会議室の灰皿の片づけわすれがあると、吸殻からアシがついたもので。
マルボロならどこ。
フィリップモリスならどこ、という具合にどこの事業部の仕業かがすぐバレた。
ともかく、
集団の視覚的な色分け的にはそんな手もあるのだよ、という一例として。
ネクタイが同じブランドの同系色とか。
音楽は鈴木慶一。
いいなあ。
『座頭市』以来かな。
ということは、ポップコーンムービー的な娯楽作のときには彼、という風に使いわけているのかも。
抒情として琴線に触れて、のちのち映画を離れて独り歩きしてしまうような。そんな「名曲」はこの作品の場合は邪魔っけという判断に違いない。
も一回観ようと思えば、観れる。
てか、
これ書きながらまた観たくなってきたな。
組織図さえ頭に入っちゃえば、お酒やりながらいけるな。
続編も気になるが、どうだろう。
☾☀闇生☆☽
追伸。
銃器のこと詳しくないのでアレなんですが。
脅すときに、あんなに顔の近くに銃口を突き付けたら、かえって奪われませんかね。
かつての作品ではちゃんと銃口を叩いて弾道をそらす演出があったので、わかって撮ってはいるのでしょうが。
それから、
椎名桔平、いいね。
桔平と組んでラーメン屋のおやじを脅す人。彼もいい。
さらに加筆。
思えば、
バイオレンスシーンのチラリズム。
露出の加減だけでなく、テンポが食い気味だったね。昔は。
しかも淡々としてた。
ソナチネのエレベーター内銃撃とか。
Hana-biの車内銃撃とか。
キッズ・リターンの石橋さんの最期とか。
あそうそう。
もひとつ。
カットの切り替えが構えた構図になっていて、リズムがよろしくない。
たとえば「俺たちの出番うんぬん」の部屋。
マルチカムで一発撮り、というわけにはいかんのかなあ。