やれ血継限界だの、
父が、母が、家系がと、
強さの根拠をなにかというと血統にするのが、そろそろ鼻についてきたぞなもし。
いやなに、
バランスが取れていればまだいいのです。
んが、
たとえば、
序盤には忍術の使えない落ちこぼれとしてリー君が居りまして。
むろん「努力の天才」だのという、手っ取り早い根拠として『天才』を持ち出すのはここでは聞き流すとしてだ、血統書付きのネジやサスケに対してこのリー君やドン臭いヒナタを置くという構図は、世界として安定があったと思う。
主人公ナルトも、この努力型と思いきや、結局のところは血統書付きで、影分身による修行のショートカットなんていう、なんだかなあもありーのという。
人気キャラのガーラもまた生まれつきの図抜けた能力者であり。
して、
このいわば血統派、天才派にたいしてのリー君たち凡人派には、努力型と自己改造型があるようでして。
たとえばオロチマル。
こちらは悪役だが、
面白い立ち位置としてあったのがダンゾウという主人公の里のダークサイドを仕切る男。
ライバルであった三代目火影に対してつねに劣等感を抱いていた彼は、自身の肉体を改造することで力を得、里に暗躍する。
けれど、
考えてみれば、この彼の目標とする政治というのは単なる自己顕示欲によるのではなく、里や世界の調和を思っての事だった。
目的は同じであり、手段が違っていたというだけのこと。
となると、敵ボスのマダラ同様に力によるグローバリズム。つまるところのリバイアサンに似てもいるのだな。
少なくとも主人公の様に、
「仲間だから」
とか、
「友だちだから」
で済んでしまう、楽観的なやっつけの園には住んではいない。
大人だ。
だもんで、
もんでもんで、
ダンゾウというこのキャラクターは、もっと膨らませることができたのではないかと、思うのだ。
もったいない。
天才と、凡人。
アマデウスとサリエリ。
信長と光秀。
その葛藤にこそ、ドラマがある。
「仲間だからっ」
で片付けていては、子供すらだませないと思うのだが……。
☾☀闇生☆☽
それはともかく、
冨樫はまだか。
追伸。
偉大なる三代目を父にもちながらどこ吹く風でいるアスマのすかしっぷりには、かつてドロップアウトした不良特有のにおいが濃い。
とどのつまりが人間くさい。
非凡ではあるものの、父の威光のまえにはかすんでしまうという。
彼もまた、もっと膨らませるべき人物ではなかったかと。