それをたしかこう呼んだのだ。
『スプーン・スタイル』と。
少なくとも字幕ではそう表示していたと記憶する。
なにがって、
アル・パチーノとミシェル・ファイファーが競演したラブ・ストーリー『恋のためらい フランキー&ジョニー』でのひとコマである。
刑務所でのオツトメからようやく解放されたジョニー(アル・パチーノ)。
単調な禁欲生活を経た彼もまた、一匹のオスであることには違いがなく。
ましてや、塀の外に彼を待つ者もなくて。
そんな境遇の一人やもめだ。ならばまっさきに考えることは、たかが知れていようというもの。
当たり前のように街娼を拾った。
「手錠もオーケーよん♪」
と服を脱ぎにかかる女。
して、ご希望のスタイルを問われてジョニーが言ったのがそれだったのだな。
スプーン・スタイル。
同じ型のスプーンをふたつ重ねたカタチだと。
時間経過のカットを経ると、どうだろう。服を着たままスプーンのように重なった二人の姿だ。
つまり赤ん坊のように膝を曲げて横になるパチーノと。その彼を、背後からぴったりと抱いてやる女。
娼婦は退屈そうに腕時計を気にし、
パチーノは、母の腕の中で寝入る赤子のように眠っている。
これは彼の地でヒットした舞台の映画化で、
むろんこのくだりは冒頭のくすぐり。導入部としてドライに、くすりと笑わせる役割を果たしている。
言ってみりゃそれだけのことである。
んが、
闇生はとりわけこのシーンが気にいっているのだと。
んで、
言わでものことだろうが、言っちまおう。
刑務所の中でつのらせてきた己のなかの飢餓感を、このジョニーは冷静に分析しているはずで。
それが性欲なのか。
はたまた人のぬくもりなのか。
おそらくは金銭が直接的に介在する街娼とのそれでは、
とどのつまりが処理的F★CKでは、
なんらその飢えは満たされないと。これはそう見切ってこその行動だったはず。
とはいえ、スプーン・スタイルとやらでそれがどれだけ満たされたのかは、彼の寝顔から推察するしかないのだが。
とここで、いきなり話を変えてしまう、
と思わせる。
『チョコレート』という映画がある。
ハル・ベリーとビリー・ボブ・ソーントンの競演。
あたくし闇生の記憶が正しければ、この映画にはセックス・シーンが三回ある。
して、
三つそれぞれの描きわけが、
てかわざわざ描きわけて見せたあたりが、この映画を解くひとつの鍵にもなっているのであーる。
冒頭が今は亡きヒース・レジャーの鎮痛な表情で。しかも泣いている。
彼は暗い部屋でひとり、注文した馴染みの娼婦を待っている。
そこへ、その女が現われ、
事務的に「早く済まして」と。
窓辺に手をついて客をむかえる女と、言われるままの男。てか客だ。
それは乾いたまんまに、まるで済まされるべくして、済んで。
そそくさと帰ろうとする女を、男は酒で引き留めようとするのだが、にべもない。
男が欲しがっていたのは、血の通ったコミュニケーションであり。つかのまの話し相手なのだ。
強烈な人種差別主義者であり、かつ女性蔑視の祖父と、
自分にひとつも愛情を示さない父。
そして代々続く死刑執行人という家業。
おそらく彼は、そのどれからも受け入れられず。
受け入れることも、できず。という孤独の底にいたことを観客はのちに知る。
その彼が死ぬことで、父ハンクは初めて息子の存在の大きさを。と同時にその損失を知り。
ハンクは、その手で死刑を執行した男の妻レティシアと、ひょんなことから知り合って愛欲に堕ちるのだった。
レティシアは祖父の嫌悪する黒人で…。
その後のふたりのセックスの変化は、観てのお楽しみ。
上述の『処理』としてのそれと。
お互いの孤独を、ひたすら埋め合おうとする、それ。
そして…。
スプーン・スタイルは、
これら三つの先にある。
というより、根底にあると言うべきかな。
だって、ほら。
これもまた、ひとつのスプーン・スタイル。
ケービの休憩時間に公園で見つけた忘れ物です。
☾☀闇生☆☽
熱が下がったと思ったら、夏日のケーピでぶり返し。
また下げたと思ったら、今度は雨の日のケーピで悪化させ。
けど今日はなんとか凌いだのら。
連日Pat Methenyの傑作『Secret Story』に看護してもらっている。
聴くほどに、良くなってくるよ。
若いころ、
「澄み過ぎているから」
という蒙古斑まるだしのケツの青さでもって遠ざけたToots Thielemansのハーモニカが、やけに沁みやがんの。
そんなお年頃なのですよ。あたしってばさ。
今日は、嫌なこといっぱいあったし。
今から毒づく体力もないし。
も寝るよ。
早く寝な。
追伸。
ちなみに、
『恋のためらい』も『チョコレート』も、どちらもお勧めです。
☾☀闇生☆☽