んで雪が――、
ちらほらとアスファルトに着地をはじめたので、
見上げて、ふと『オネアミスの翼』を連想した。
そう。
あの、手のひらの雪から仰視して、それが大気圏からの俯瞰へと受け継がれる幕切れのくだり。
ミクロからマクロへ。
と同時に、坂本龍一が手掛けたテーマ曲の、あの印象的なハンドクラップが頭をめぐって…。
やがてそれが雨に変わるや、こんどはツェッペリンのRainSongに取って代わった。
それはアルバム『聖なる館』のよそよそしいスタジオ版ではなく、ライヴ・フィルム『永遠の詩 狂熱のライヴ』に収められた演奏の方である。
ライヴ・フィルムと謳ってはいるもののあの映像には、言ってしまえばメンバーによる三文芝居が、それもことのほか懇切丁寧な作りで挿入されており。
それがまた肝心カナメのライヴシーンを遮るものだから、さながら「おあずけ」を喰らった犬っコロのような、なんとも煮え切らないおもいをさせられる。
で、このRain Songもまた、そんな中断を喰らうことになるのだ。
The Song Remains The Sameから途切れ無く、なんかわかったようなわからないような、幻想的なイメージ映像がこの曲へとひき継がれ、バンド演奏がクライマックスを過ぎたあとに突如として、すっ、とギターの独奏に収束される。
と同時に映像はふたたびライヴシーンへと戻るのだ。
ダブルネックの真紅のSGをつまびくジミー・ペイジの姿がそこにぽつんとあるわけだが、この緊迫感がたまらないのね。
壮大なマクロな曲想から急降下して、ミクロにズームするような。
その、曲の構成の見事さはいまさら触れるまでも無いけれど、この短い独奏の部分に――。とりわけペイジの指先にいやがうえにも集中させられるあの瞬間に、至福があった。
んにゃ、あったのっ。
高校時代、
これのLDを友人が持っていた。
迷惑を顧みず、あたしゃ長々と彼の家に入り浸っては、これを見せてもらっていたものだ。
このシーンでふたり、息をのんでさ。
ましてやあのペイジだもの。
ねえ。
ぷつぷつと、またもや計算外のミュートをやらかすんじゃねーかと。
なんせ、ミスるほどギターを低く構えるペイジだもの。
そんな不遜をかまして笑い合うのも、ツェッペリン・ファンならではの敬愛の作法でもあったのだ。
と、勝手に決め付けておく。
☾☀闇生☆☽
今日も、ケービでしたよん。
ぽつんと、ひとりで。
それでも誰か見てんじゃねーかと曇天を見上げたり、うつむいたり。