さて、どこにあった文章だったのか、とんと思い出せない。
司馬遼太郎のものであることには違いないのだが。
たしか長崎の出島に関するシンポジウムでのことだったと記憶する。
問題は、それを取り扱ったテレビのニュース番組についてだ。
番組は、司馬の講演をかいつまんでスポット的に紹介した。
しかしそれがまた編集のさじ加減で、無惨にも、まったく主旨の違ったものにされていた。
不肖闇生が出典を失念した文章というのは、司馬がその扱いを嘆いたものである。
番組では、司馬が、
「文化は国家が形作る」
と発言したその瞬間だけを紹介したそうな。
してそのVTRを終えると、映像はスタジオに戻り、アナウンサーが不快気に首をかしげるというものだった。
なんだろう。国粋主義拠りとして司馬を片づけた、そんな印象をもののみごとに垂れ流していた。
これに対して司馬は、文章のなかで確かこんな弁解をしていたはずだ。
たとえば江戸時代。
特に後期のあの爛熟した日本独自の文化というものは、娯楽や生活はもとより芸術的にも思想的にも世界に誇ることのできるレベルであって、それはとりもなおさず鎖国という制度なくしては成立しなかったのではと。
いやこの際、鎖国の功罪や是非も含めてしまおうか。
身分差別やらも。
けれどそうしたところで、それをも含めてが文化であり、その輪郭を決定することに国家の力は働いていたはずだと。
言わずもがな、仮に開きっぱなしであったなら、違った文化であったはずで。
んが、
その開きっぱなしもまた、政府の態度であろうし。
すまん。
背伸びし過ぎてしまった。
ここまできてこの視点を、エロDVD屋であるところのあたしの等身大に引き寄せる。
覚悟してほしい。
言いたいのはこれだ。
「ぶっかけ」
についてだ。
すまん。
三度、すまん。
ご存知、ぶっかけである。
一般的な認識では、アダルトビデオの隆盛期の立役者、村西とおる監督が流行らせ、のちにカテゴリーとして定着したとされる。
当時は「顔面シャワー」などといって、彼の監督する作品にはパッケージにそれが謳われていたものだ。
これに触発された男子たちが、てめえのカノジョやら奥方やらにそれを試して顰蹙を買うという事態が頻発したというが、実体は知らない。
汁すべがない。
もとい、
知るすべがない。
んが、
人間は学習する。
して学習とは模倣から始まる。
おもに女子方面から投げつけられたあられもない嫌悪感をよそに、AV的需要は広まって。
一度生まれてしまった概念は、たとえ正論で抗われようがエスカレートするほかなく。
もとよりコトは快楽にかかわることであり。
まずはそれまでの射撃手とマトの関係をマンツーマンから集中砲火へと。
戦火は一段と拡大し、
業界は徴兵に余念がなく、
はては「汁男」なる傭兵が生まれて跳梁跋扈。
ならばと、それ専門の派兵を行うプロダクションまでもが出現した。
ここまでくると、彼らは欲望のはけ口として確固たる城を築き上げており。
汁ひとぞ汁その国、人呼んで「汁もの」。
業界ではそれ専門のメーカーが現われ。
ばかりか、いまやネット上では同好のよしみが集って汁談義に喧しいほど。
巷の性風俗でも、それ専用に遊べるサービスや専門店が現われて定着してもいる。
ぶっかけ。
すべてはこれ、AVが火をつけた。
でもって、これって日本ならではなのですな。
なぜって、日本のポルノでは性器の露出が禁じられておりますでしよ。
となれば凸と凹の合体のままに、矢弾尽き果てるさまを撮影したところで、何が何やらわからんちんなのであーる。
よって村西は、よりエロくするためにこれを映像的に翻訳しなおす必要にせまられてもいたと。
とどのつまりがだ、
ぶっかけは制度に生み出されたと。
規制が創造を生んだ。
そう言えはしまいか。
そして今やこれらは「BUKKAKE」として、世界的に広まりつつあるという。
このたび、SAPIO最新刊での特集を見て、あたしゃ驚いたのよ。
記事に促されるままにアルファベットのBUKKAKEで検索してみて、その事態をまざまざと汁ことになったという次第。
「BUKKAKE ME!」
熟語にまでなっている。
おそるべし、文化だ。
時として制度が欲望までを変えるとは…。
ばかりか、その欲望は普遍化しちゃったりもすると。
とまあ、ここまで来て、またしても背伸びする。
すまん。
のたまう。
一度生まれてしまった概念は、そうそう消せるものではない。
エロ、然り、
鬱、然り、
あるいは核、然り…。
その発端には国家が作動しているはずだろうが、いまとなってはどうだろう。
この先、はたして所持するのは国家だけに留まるのだろうか。
戦争でさえ、国家間のものではなくなりつつある混迷の時代にだ。
それよりも、一度生まれたものを簡単に消せるほど、あたしたちゃお利口さんなのだろうか。
いや、
馬鹿なのだろうか。
呑んだあとのシメの豚骨ラーメン一杯ですら、忘れることが困難だというのに。
もしそれができるとするならば、
ひょっとすればそれが、
忽然と消え失せた古代文明の民度に、われわれが追いつく日なのかもしれない。
今日ぉ〜人類が、初めて〜♪
とかなんとか。
敬称略ね。
☾☀闇生☆☽
サルにはなりたくない♪