壁の言の葉

unlucky hero your key

 PINK CLOUDが解散したのは、いつだったろう。
 当時FMで番組を持っていたICEはそれを惜しんで、ちょっとした特集を組んだのを覚えている。
 解散の原因がお二人にもまだ報らされていないなかでの放送だった。
 どこか腑に落ちない様子ながら、それでも宮内さんはいくつかの曲を紹介したはずだ。
 恐らくは『Smoky』などの泣く子も黙って飛ぶ鳥落とす、完全無欠の代表曲だったような気がするが、確信はない。
 その代わり、国岡さんが選んだのははっきり覚えていて。
 宮内さんに教えられる形で徐々にファンになっていったという彼女。
 その選曲には、あたしゃ唸ったね。


『Cloudy Sky』


 そうきたか。
 昨日からなぜかこの曲が頭のなかをめぐってる。
 で、たまらずYoutubeで検索したのだ。
 やっぱライヴなんだよなあ、PINK CLOUDってば。
 などとのたまうくせに、その実、一度も生で観たことはない。
 けれど、正直彼らのアルバムの音には、なじめないことが少なくなかったのだ。
 小さなとこに押し込められちゃってる感じがね、
 してね。


 晴天が続いている。
 夏日である。
 それでいながらこの曲があたまをめぐるのは、いったいなぜかというハナシ。
 まあ、風があるしね。
 熱風だけれど。
 風は、空の表情を絶え間なく変えていて。
 雲をつかってさ。
 天空を盆景に見立てるとすれば、雲はその景石だろう。
 あ。
 これじゃ本末転倒だわい。
 天然を小さな盆の中に見立てるのが、盆景というものだもの。
 ともかく、
 ここのところの風と上昇気流とが、見上げるたんびに雲をもてあそんで、目を愉しませてくれる…、からか?


 Cloudy Sky.


 かつて、
 日本映画の『色』が気に食わなかった。
 魅了するのはフェリーニホドロフスキーの絢爛たる極彩色と、そのいかがわしさであり。
 ブレードランナーやエイリアンに示された光と闇であり。
 クリストファー・ドイルや、
 ヴィットリオ・ストラーロの色使いであるからして、せいぜいのところが日本では寺山修司どまり。
 とくれば大概の邦画の画面は、
 たとえ派手でも薄っぺらで、
 おしなべて地味で、
 退屈なものでしかなかったわけ。
 というのも、そもそものところ日本の街並みが色彩に乏しく、かててくわえて湿度の高さが陽射しを弱めているからにほかならない。
 と、そこまで決め付けたうえで、あきらめてもいたのである。
 このホリの浅い顔立ちだってその要因のひとつだろうよ、どうせと。
 小石を蹴っては、暮れていく夕陽に土手から叫んだものだった。


 鮮烈な陰影を。
 めくるめく色彩を。


 そのわりには同じ東アジアでもチャン・イーモウチェン・カイコーのは、いい絵をするのだよ。まったく。
 ちなみにのたまっちまえば、
 初期の北野武が沖縄にこだわったのも、
 して『hana-bi』で一貫してブルーを誇張したのも、
 それらウィークポイントへの対策であろうと解釈しているのだが、どうだろか。
 前者はその土地柄ゆえの色彩の陰影が、生と死のコントラストを痛いほど際立たせていた。


 とまあ、
 そんなことを職場での映画談義で、あたしゃのたまったことが、ある。
 ことさらえらそーにさ。
 要約すれば「日本映画には色がない」と。
 すると、それに反論してきたのが映画監督志望の某フリーター君だった。
 「色」の好例として森田芳光の代表作を挙げるではないのさ。


 松田優作主演『家族ゲーム


 あたしとしては、もっとも色の無い映画と解釈していたこの作品。
 なんせ日常の、
 つまりは醤油の匂いのしみついた団地の空気だ。
 受験と、
 学ランと、
 いじめが取り持つ、じめっとした暗さだ。
 そこでは、寝ても覚めても曇天につぐ曇天で、
 よって焦げ付くような影も、陽射しも感じられず。
 印象として強く残っているのはメリハリの無い「灰色」であった。
 どんよりと。
 それをフリーター君は、こともあろうに最も色のある日本映画として挙げたのである。


 おそらくはあたしの言う「色」と彼の言う「色」の意味に、食い違いがあったのだと思う。
 いや、あったのだ。
 のちになってそれに気づくに至るのだが、このときのあたしには理解ができなかった。
 確かに映画は面白い。
 けど、色はさあ…。
 そう。
 彼はきっと「日本ならではの色」が出ている映画と捉えていたのだ。
 言い換えれば外国かぶれの無い、色彩のオリジナリティーとしてね。
 曇天の下にうっそりと建ち並ぶコンクリートの無骨な景観こそが、リアルなそれじゃないすかと。
 なるほど、この高温多湿で季節を切り盛りしていく日本の空は、一年の大部分を雲にゆだねているわけで。
 てことは、人生の大半だろう。
 そうならば、
 好天でも荒天でもなく、曇天こそが、あたしらの心象風景のプレーンなのに違いない。
 だもんで浮世絵からアニメまでが、おしなべてペタッと平面的で陰影が弱いのだ。
 けどさ、
 そのぶん色彩は豊かだぞ。アニメも、浮世絵も。 
 そこはひとつ見習おうよ。実写。


 いわずもがな、五穀豊穣を願い、天候によって一喜一憂するしかないお国柄である。
 して、空の事ばかりはいちいち凹んでても仕方が無い。
 それじゃあってんで、
 以来、闇生は晴天を基準とせず、曇天をニュートラルとして肯定的にとらえようとしているのであーる。
 そう心に決めて振り返れば、そこにぽつんとガキんちょだ。
 派手好きだったころの闇生は、味覚がまだ幼かったのに過ぎないのだと。
 大味なものにしか反応できない、子供な舌だったのだ。


 Cloudy Sky.


 頭の中に鳴りつづけるので、
 窓を開け放ち、
 あえてン年ぶりの昼酒としゃれ込んでみる。
 ジョギングのあとの疲労感を、なまぬる〜い風にゆだねつつ。
 見ると黒猫が、道端で首を掻いていた。
 そういえば、いつからか赤い首輪を着けている。
 まんまと食料提供者を得たのだな。
 一人暮らしのおばあさんの家の玄関に、いつもちょこんと居座っているもの。
 ぶさいくなデブ猫くせに、泣き声ばかりは子猫ぶって、まったくなやつだ。


 就活、乙。


 世渡りもまた、たくましさよ。
 不肖闇生、
 ゴミを出した朝は、必ず空を見上げる。
 そんなときは決まってこの黒いデブ猫がすり寄ってくる。
 雲の流れを見上げる起きがけの闇生と、
 それを物欲しげに見上げる黒猫。
 風の向くままに生きるこいつにとっては、曇天も晴天もどこ吹く風、…の吹き回しかと。








 ☾☀闇生☆☽


 そうぢいっと見んなよ。
 照れるんだぜ。俺も。