昼間の喧騒から解き放たれて、
ほどよい疲労感に痺れている深夜のひとり。
けれど眠ってしまうのにはまだ惜しく、
といって、会話やメールのせわしさからは、ちょっと距離を置いていたいと。
むろん目にする動画はどれも目にうるさく、
今はせめてただ暗く青い静寂がほしいだけなのだが、
音楽がないのも、どことなく寂しいような…。
あそうか。
そういう時に車を持っている人ならば、ぷいとドライヴに出るに違いない。
暗い車内でFMをつけて、涼しげに点るインジケーターランプの青。
それが言葉少なに呟くナビゲーターならば、流れる曲はきっと深夜の静寂を尊重して選ばれるはず。
かつてJ-waveは洋楽中心であった。
その頃、かのバリー・ホワイトが深夜のプログラムを担当していたことがあって。
いわずもがな、世のオンナの腰をとろんとろんにする無敵の低音ボイスである。
「This is Barry White…」
営業中にこれをやられると、客も店員も、更けていく夜の濃度を認めずにはおれず、言葉数が減っていったもので。
Joni Mitchellの『MINGUS』を聴くとき、あたしゃなぜだかいつもそんな情景が浮かぶのであーる。
怒れるベーシストなどと呼ばれるジャズジャイアント、チャールズ・ミンガス。
タイトルとジョニ自身の筆によるジャケットからもわかるとおりに、アルバムは偉大な彼に対するオマージュに満ち溢れている。
その凛とした敬愛の態度は、音のひとつひとつに現れていると思う。
静かで、厳かでありながら、哀しみが白く、やさしい。
そう書きながら『聖者の行進』という、黒人音楽のあまりに有名な葬送曲を思い出した。
なるほど、これははからずもミンガスを天国へ送るアルバムでもあったのだ。
制作は、当初共演という形で企画されたらしい。
幾度となくジョニはミンガスに意見を求めつつ作業を進めたというのだが、ミンガスの体調を考慮しているうちに、ついに共演は永遠に実現しないことになってしまった。
空いたベーシストの席は、あまりにも巨大で。
それを務めたのが、天才の名をほしいままにしたジャコ・パストリアスである。
ミンガスはむろんダブルベースの名手で、綺羅星のごとくに輝くジャズの大御所たちとのセッションを数え切れないほど積んでおり、かてて加えて類まれな作曲者でもあって、自身の率いるオーケストラのボスでもある。
そう考えるとジャコパスは、得物こそエレキベースではあるが、ミンガスの後塵を拝する関係といってもいいのではないか。
それでなのか、
あるいはジョニへの恋心からなのか、
もしくはその双方があいまって、ここでの彼は奇跡的な演奏を繰り広げているのだな。
奇跡的。
うん、決して大げさじゃないと思う。
あたしゃこういうジャコパスのような、いってみりゃ神業の持ち主が、一歩下がってヴォーカリストに寄り添う風情が好きでね。
たとえばクリフォード・ブラウンやジョー・パスなんかは、自身のリーダー作だとエゴをおしげもなく壮絶に展開させてはくれるけれど、それはそれとして、ヴォーカリストにスポットライトを譲った時の彼らの、なんとセクシーなことか。
トッププレイヤーが脇に回ったときに見せるあのゆとりと言おうか、遊び心と言おうか、そこにヒキダシとふところの大きさが垣間見えてね。主役への優しさも堪能できるし。
ほかのメンバーとしてハービー・ハンコックやウェイン・ショーターといったつわものが顔を揃えているのだが、そんなわけでやっぱジャコなんですな。このアルバムは。
ここまでベースがのびやかに歌うとなると、いっそジョニとベースのデュエットと考えてしまいたくなるわけで。
リーダー作ではないものの、ジャコパスの代表作のひとつとして欠かせない一枚ではないかと思う。
ちなみにジョニがミンガスへの想いをつづったライナーノーツは、このアルバムの宇宙を泳ぐために必読であーる。
そんなこんなで幸福なこのアルバムのラストに納められているのが名曲「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」。
これはジェフベックがカヴァーしたことでも有名である。
別名「テーマ・フォー・レスターヤング」という。
テナー・サックスの偉大な先駆者レスター・ヤングに、ミンガスが捧げた曲だというから居ずまいを正さずには聴けない。
いっそ正座して聴こう。
とどのつまりが、ミンガスがレスターに向けたリスペクトを、ジョニ・ミッチェルが受け継いでみせるのだから。
ジャコと手を取り合ってね。
そこでまざまざと思い知るのだわ、あたしなんかは。
ジャズがしぶとく生き続ける理由は、完結が目標ではないということと、この歌い継ぐという精神にあるのだと。
「ひかりはたもち、その電燈は失はれ」(宮澤賢治『春と修羅 序』)
Yes,
式年遷宮。
永遠は、その精神にこそ宿る。
☾☀闇生☆☽
かならずひとりで、
できれば真夜中に。
おためしあれ。