壁の言の葉

unlucky hero your key


 以下、のたまう。
 他人に道順を教えるのに、うまい人と下手な人がある。
 この能力の差は歴然としていて、
 なおかつ人生に大きく作用する。
 あたしゃつねづねそんなふうに思っているのであーる。
 たとえば郵便局はどこかと尋ねられて、


「まず、この道をまっすぐだ。
 大通りに出たらそれを渡ってから左。
 しばらく行くと吉野家があるから、その角を右。
 ちょっと行ってユニクロの交差点をまた右に。
 したらもう局の前のポストが見えるぜ。
 真っ赤だぜ。
 トータルで10分くらいかな」


 真っ赤だぜは余計だが、ナイスガイならばさらに要約して念を押してくれることだろう。


「いいかい? 大通りを左。
 で吉野家を右。
 ユニクロを右だからな。アミーゴ」


 これで済むのだ。
 なのに下手な人はこれにいろいろと情報を盛りつけてしまうのだな。


「この道をまあっすぐテクテクテクテク行くと、だいたい五分くらいで四車線の通りにでるから。角にスターバックスがあってね。通りの向こうには交番があってさ。その隣が有名な一風堂っていうラーメン屋さんで。この時間だともう行列ができてるはずだからすぐわかるよ。で、この交差点を秋葉原方面に曲がって、そこから信号が四つくらいかな。五つかな。黄色い看板の百円ショップを過ぎて、古い文房具屋があって、メガネ屋を過ぎると。あ。文房具屋は潰れたんだっけ。去年。いまはそこセブンイレブンになってるわ。いや、ローソンか。で、四台くらいしか置けない小さなコインパーキングがあってね…。ちがったちがった。ampmだった。その先が××街道の交差点だから。吉野屋のオレンジ色の幟がぱたぱたしているからさ、その角を…」
 

 ね。
 情報がとっ散らかっている。
 だもんで聞いてる方はもう、いらいらしてくる。
 これが小説ならばわかるのだ。あれはそんな盛り付けをこそ愉しむもので、決して概要で済んでしまう代物であってはならないのだから。
 しかし今求められているのはあくまで道案内である。
 尋ねた彼は物語を求めているのではないし、思索や情景描写を味わおうっていうんでもないと。ましてや会話のアヤをたしなもうとしているのでもないとなれば、疲れさせるばかりでござると。
 ついでに言ってしまえば、聞き方の下手な人もいますわな。


「大通りに出たら…」
「大通り? っていうと、○○通り? いや、違うな△△街道か?」
 とか、
「吉野屋の角を右へ…」
「吉野屋? それは□□通りの?」


 などと、逐一自分の脳内マップに変換したがる。
 ために、その都度、話の腰を折ったりする。
 もっとも、要領を得ない案内だからこそ、折られる場合もあるのだけれど。
 

 ともかく、これってばプレゼンテーション能力そのものなのね。
 などと知ったかぶりをかます不肖闇生のプレゼン歴なんてものは、拙い。
 いまだ毛も生えてない。
 上京したての昭和の終わり際。英会話スクールの勧誘をかじった程度である。
 そうわきまえた上でしみじみと思うのだ。この能力は人生を切り開く上で重要だったのだなと。
 言うまでも無く『対人』で存在するからこそ、人間だ。
 ならばコミュニケーション抜きには生きづらいわけで。
 なぜなら、
 得るも、失うも、
 ポジティヴも、ネガティヴも、
 すべて人伝いに訪れてきて、
 そして人へと伝わっていくのだし、
 伝えていくのだから。
 して、プレゼンはそのための技術なのだもの。


 そのとき郵便局は――、
 吹き荒れる熱砂の想いであり、
 切実なる願いであり、
 祈りであり、
 はたまた、やり場の無いどす黒い憤りであったりもすれば、
 とりとめのない妄想の花をたたえる泉でもある。
 茶を沸かすへその哄笑であり、
 愚弄と冷笑の疲れを癒す、あれだ、
 眠れぬ友への下ネタだ。
 愛のささやきだ。
 ダジャレだ。
 懺悔だ。
 未練だ。
 悔恨だ。
 なにくそ、とひねり出した最後っ屁だっ。 


 大切なのは、なによりYesを取ることだぞ。
 かつてそう教えられたよ。
 他愛のないものでもいい。
 要所要所で確実に小さなYesを積み重ねろと。
「今日は蒸しますねえ」
 でも、
HUNTER×HUNTER再開しませんねえ」
 でもいいから確実なYesをだ。
 その小さなYesの積み重ねが、やがて大きなYesに繋がるのだぞと。


 いや、
 商売的なプレゼンだけではない。
 オンナ口説くのも、
 オトコ落とすのも、
 上司をへこますのも、要はそういう仕組みで作用してるんだろうし。
 政治家の説得力なんてのも、例外ではない。
 (だからあたしたちゃ印象や風潮にながされちゃいかんの)
 新人に仕事を教えるのだって、きっと同じだろう。うまい人は、自然とそれをやっているものだ。
 道案内でいえば、要所要所の目印がYesのとりどころということになるのか。
 ならばだ、最初の目印でYesを取りこぼしておきながら、先へ先へもないのである。
 ひとつずつ、確実に。
 そうか、的確な足場とルートをたどりながら高きを目指すロック・クライミングにたとえたほうが、あるいはよかったのか。


 反省。

 
 余談だが、
 コンピュータ間のデータのやりとりも、似たようなことの積み重ねで成立しているらしい。相槌を打ち合いながらね。
 

 そんなことを考えてしまったのもあたくしが失業を――、して転職を目前に控えているからだと思う。
 人のあつまるところ必ずプレゼンがある。
 なもんで、やたらめったら他人様の仕事場が気になって。
 毎日利用するコンビニでは、ついスタッフのやりとりを観察してしまうのだ。
 先日は、新人アルバイト君がベテラン女子社員に仕事を教えてもらっている現場に出くわした。
 内容は宅配便のレジ処理だ。
 ベテラン嬢はテキパキと説明をしながら、目にも留まらぬ速さで液晶タッチパネルを操作していくのだが、新人君のYesがひとつも取れていない。
「はあ…。はあ…」
 ぽかんとして頷くバイト君を置き去りに、肩で風を切って進んでいく嬢。
 遠のいていく、その後姿。
 ぷりぷりと。
 おそらくは、教えているというより、いとも簡単に操作してみせる自分に酔っているのだと思われ…。
 あんた、そんな前戯すんのかい。
 嗚呼、
 目も当てられない。
 運よく転職できたとして、俺もあんな扱いを受けるのだろうか。
 げんなりするぜ。アミーゴ。


 先にも触れたあたしの拙い営業時代。
 結果のあった者は、朝礼で前に立たされ、報告をさせられたものだった。
 アポイントからプレゼン、契約に至るまでの流れを、顧客の情報をふくめて発表するのだ。つまりは勝因をね。
 それを終えたあたしに、いつも上司がこう声を掛けたものである。
「なんで報告になるとお前はワケわかんなくなっちゃうんだか」
 自分では理路整然と説明しているつもりなのに、ちっとも伝わっていないことを知って、えらく凹んだなあ。
 そう、
 何を隠そうあたくし闇生も、道案内のど下手なやつなのである。
 案内しながら自分で迷子になっしまう残念な奴ですらある。
 それはこのブログでのスジの飛躍や、尻切れトンボ具合や、なげっぱなし、執拗な重複、無駄な長文にも現れている通りなのであーる。
 と、
 そう自覚できたところで、どうできるというのだろう。
 こればかりはクリックパツイチのGoogleでどうにかなるものではないのだし。
 おせっかいな妖精ナビが突っ込んでくれるわけでもない。
 地道に精進せねば、君に見せてあげられないのであーる。
 俺のポストを。




 ☾☀闇生☆☽


 真っ赤っかだぜ、
 アミーゴ。