スパイク・リー監督作『セントアンナの奇跡』
新宿テアトルタイムズスクエアにて
プロモーションにもあるように、
現代のニューヨークで起きた、動機不明の殺人事件から物語は幕を上げる。
犯人は定年退職間近の勤勉な郵便局員。
黒人。
彼はその担当窓口で、切手をもとめた客を唐突に射殺するのである。
家宅捜査の結果、犯人の部屋からはある意外なものが発見される。
それは、フィレンツェのサンタ・トリニータ橋にあった彫像。
その、春を意味するプリマヴェーラの首が、みつかったのである。
16世紀から残る建築物として名高いものだったが、先の大戦でドイツ軍に破壊されて以降、行方がわからなくなっていた。
はて、
なにゆえそんな遺物が、しがない郵便局員の部屋に。
謎を追って、舞台はムッソリーニ失脚後のイタリアへと飛ぶ。
ドイツが占領し、
蜂起したパルチザンが各地で抗い、
連合国が対ファシズムの兵を進める、そこは最前線である。
以下、
ネタバレ嫌いは、ご注意を。
デビュー以来、米国の人種問題をテーマにしつづけてきたスパイク・リー。
んが、
ここ数年は純粋な娯楽映画ともいえるものが目立っていた。
日本では公開されないものも多い。
そこに、作家性の濃い作品への米国ショービズ界の酷薄を垣間見た気がしていたのだが。
それはともかく、
彼が久しぶりにこの問題にがっぷりと取り組んだというので、不肖闇生、いそいそと劇場に足を運んだという次第なのであーる。
まず背景として、バッファロー・ソルジャーの存在がある。
第92歩兵師団の通称で、黒人で構成されていたそうな。
先の大戦下のイタリアでは最前線でドイツ軍と闘ったとされる。
原作者はこの部隊出身の元兵士を祖父にもつそうで、幼いころに聞かされたイタリア戦線での話に着想を得たとしている。
曰く、イタリアでは黒人に差別がなく、やさしくもてなしてくれたと。
言うまでもなく、公共施設での人種隔離も、無い
ようするに彼の祖父は、差別の激しい母国のために遠く異国で命を賭け、その田舎町で差別のない自由を知ったのだ。
加えて、同じ神のもと、敵味方にわかれて殺しあう皮肉をも。
観賞後にだれしもが思うのは、どこまでが史実かということ。
明らかなのはバッファロー・ソルジャーの存在。
それとセントアンナの虐殺。
それから、サンタ・トリニータ橋の消えた彫像。
まず少なくともそれだけは明らかである。
そして問題は長尺。
なんと約三時間も。
前にも述べたが、戦争ものは観客の平均年齢がぐうんとあがる。
この映画もご多分にもれずそうだった。
だもんでやっぱトイレに頻繁に立たれるのだなぁ。
自然現象はどうしようもないが、かつての長尺ものがそうだったように、ちょっとした休憩タイムがあるといいだろうなと思った。
てか、あたしもケツがしびれちゃってさ。
でもって、古傷の左ひざがぎうぎういっちゃってさあ。
かててくわえて、無駄なシーンもちらほらと見受けるものだから、余計に長く感じたよ。
特に前半はね。
いくつか例をあげると、
まずカフェテラスに落下する新聞のシーン。
観た人はわかると思うが、あの直前の男女のいちゃいちゃしたカラミって、必要かあ?
それともうひとつ。
たとえば『アマデウス』がそうだったように、現代から始まって、物語は回想の形をとる。
アマデウスなら、サリエリという老作曲家を精神病院に訪ねるところから始まった。
そして、その若き日の回想が訪問者へ述べられ、その映像へと。
が、息継ぎとして、証言中の現代のサリエリにもどり、そしてまた回想という具合。
(この類型として『告発』や『12人の怒れる男』等々)
この『セントアンナの奇跡』も、この手法でいくかと思わせる。
冒頭に若き新聞記者が登場し、この事件の謎に惹かれて犯人に面会をするのである。
実際、大戦下の情勢やら、黒人部隊の経緯やらと、説明が必要なことがいくつもあるので、その論法こそがこの物語の『正解』であると確信するのだが、哀しいかな若き記者はほとんどほったらかしになって物語は幕を閉じてしまうのだ。
なんだったんだ、あの記者。
だから思うのだ。
アマデウス式なら、もっとすっきりしたのではないかと。
もうひとつ気になったのは音楽。
監督の盟友といってもいいテレンス・ブランチャードが今回も務めている。
クライマックスでの音楽はなかなかに盛り上げてくれるのだが、いかんせん、多い。
静寂があってこそ、音楽が活きるはず。
などと思ってしまうのは、なにかと音楽が説明的なためである。
イタリアのシーンはいかにもそれっぽい、こってこてのナポリぶったギターが。
んで、ナチスになると、これまたこってこての軍隊調スネアドラム。ツンタカタッター!
音楽と映像の足し算は、加減を考えんとトゥーマッチだっつの。
甘いスイカにはちみつかけてどうすんだっつの。
塩だっつの。
最後に戦闘シーン。
『プライベートライアン』以降は、なにかとドキュメントタッチがもてはやされてきた。
手ぶれのするカメラ。
生々しい兵士の息遣い。
望遠。
それにくわえて行き交う弾道の描き込み。
それらに慣れてしまった目で見ると、ここでの戦闘はそれほどえげつなくもない。
きわめてオーソドックスに見えた。
それを好ましくとるかどうかは分かれるところと思う。
あたくし的には、冒頭の戦闘はもっと編集できたはずと確信する。
なんせクライマックスでは泣いたのだ。
心ならずも、泣かされちゃったのよ。
くりかえす、
「心ならずもっ」
くそお。
だもんで余計に、序盤〜中盤をもっと整理できていればと。
すれば、くそお、とは思わんかったさ。くそお。
削ぎ落とすべきとこはやまほどぞっ。
帰りにTowerRecordsに立ち寄る。
何も買わなかったけれど、
店頭と店内でマイケル・ジャクソンのライヴDVDを流していて。
どちらもモニターの前には人だかりがしていた。
みんな若いわ。
たぶん、リアルタイムではない人たちである。
☾☀闇生☆☽