ジェフ・ベックは少年だ。
あの歳まで、
しかもあんなにも長いあいだ、生きる伝説として崇拝されてきたというのに、そのフレーズに少しも垢じみたところは見られず、あくまでギターを面白がってみせるんだもの。
楽器をモノにするということは、それすなわち手癖やらの垢にまみれていくことと背中合わせではないのかと思うのだ。
ましてや、
あそこまで表現を自在にできるとなれば、少しくらい弾き尽くした感があってもよさそうなもの。
なのに、
初めてギターを手にした少年のように、好奇心がまるで褪せていないように感じるのはなぜよ。
それはジェフ・ベックだから、としか言えんわ。
あいつに倦怠期は、ないのだよと。
Youtubeにアップされているライヴをハシゴしながら、あたしゃ舌を巻いたのだ。
なんちゅうオッサンだろか。まったく。
年々渋味を増していくクラプトンの渋味だって、もちろんいいさ。
フケ専にはたまらんだろーさ。
けれど、ベックのやんちゃもああまでいくと、脱帽するほかないっしょ。
勝手に決め付けてしまうけれど、まるでギターにしか興味がないというある種の暗さが、若さのミソなのではないだろうか。
同じ(いわゆる)三大ギタリストの中でも、たとえばクラプトンにはエロじじいな素質が匂うでしょ。
エロに素質だなんてヘンテコだから、あるいは色気というべきか。
それでこその彼のブルースなのだが。
ジミー・ペイジは確かにすごいギタリストだけれど、作曲家としての一面のほうが輝いているから、置くとして。
そこへいくとベックには、思春期特有の鬱屈したひたむきが。
つまり暗さが、いつもついてまわるような気がするのだ。
決してヒットチャートにもおもねらず。
スターという虚飾にも興味が無く、
熱にうかれたように、寝ても覚めてもひたすらギターを模索する、
少年だ。
ちなみに、
このひたむきな遊びの感覚をぜひとも思い出して欲しいと、近年のエディ・ヴァンヘイレンに思う闇生なのであった。
ポップ・スターとしてではなく、
ギター少年としてのエディよ、出てこいやっ。
☾☀闇生☆☽