どうせ眠れない。
ブザマついでに、付け足しておく。
漫画家小林よしのりによれば、
なんでもハイデガーというドイツの哲学者がこんなことを言ったのだそうな。
『不安』と『恐れ』は違うと。
対象がはっきりとあるものは、「恐れ」であって「不安」ではない。
では「不安」とは。
人間がまったく無意味に世の中に投げ出されていて、死ぬときはまったく固有の死を選ばざるを得ない感覚であると。
人間たるもの、本来的にその不安を持っているものだと。
(小学館『わしズム』Vol.20収録、徹底討論より)
あたしなんぞの不安は、そんな大それたことではないのだろうが。
とにもかくにも豚煮もウニも、
対象がはっきりしないからこその不安なのだ、ということを確認して、せめて「恐れ」にしてしまえと。
たくらむ所存。
その一方で、
キルケゴールという人はこう言ったのだそうな。
山深く、いまにも落ちそうな吊り橋を注意深く歩いているときの感覚が「恐怖」。
で、そういう橋を歩いている自分が、いきなり谷に飛び込むんじゃないかというのが「不安」と。
(同、鈴木邦男の発言より)
うむ。
こうして向き合えば、得体のしれない、という得体が、おぼろげながら見えてくるような。
こないような。
☾☀闇生☆☽
ついでに余談ながら、
『わしズム』が今季号で終わってしまう。
なんだが「終わりの季節」のようで。
それまで十把一絡げに保守だとみなされていたものが、9.11以降、仕分けされていく時代のなか、あの『場』はまことにもって貴重であったと思う。
小林の主張はこの際別として、
何より、言論封殺に屈しての廃刊というところに。そしてまた、その事件のあつかいに、憤りを感じてしまうのだ。
いったいどうなってんすか。