「よく噛んでから飲み込みなさい」
よく言われたものである。
さらに言えば、飲み込んでから喋りなさい、と。
闇おぼっちゃまと。
口に入れたままべちゃべちゃやっちゃいけませんよと。
でもって、理想を言えば、終わってから感想を交わしましょねと。
え?
なんの話をしてるのかって?
観劇ですよ、ええ。
メインに宮沢りえと松たか子を据えた野田秀樹の新作『パイパー』を観てきたのである。
橋爪功ら実力派が脇をかためるこの話題作。
実を言うと、あたしゃあまり集中ができなかった。
とほほ。
けれど、それは決して芝居のせいではないの。
観劇のマナー違反によるんですな。
哀しいことだが。
なんか、年々悪くなっていく気がするのだ。観劇の環境が。
芝居につられて笑ったり泣いたり、拍手したり。場合によっては声をかけたり。そんなのはぜんぜんかまわんよ。
なにも石像のようにじっとしとけとは言わん。
言わんけどね、あたしの隣の空席を荷物置きとして占有した二人組。
ずっと喋ってんのさ。
シーンごとに感想を言ったり、質問したり、解説したりと。
キャンディを取り出しちゃ、あんたも要る? なんて。
おそらくは二人だけに聞こえる大きさで呟いているつもりなのだろうが、もそもそもそもそと。これがやけに響くのだな。
なにゆえこれほどまでに俺は運がないのかと。
前世の罰なのかしらと。
今回ばかりは、考えちゃったよ。
前回、野田の『キル』を観たときは、すぐ背後から、ずっと何かを打つ音がしていた。
ウィンドブレーカーの膝をこつこつと指で叩いてリズムをとるような。
今回もそうだが、いつだってそういうのは年配者なのだ。
だから余計にがっくしとくるんだ。
芝居の中に、たとえ理解しにくいくだりがあったにせよ、まずは感じようよ。
舌に食感をゆだねてさ。
わからないなら、わからないなりでいいじゃんか。
ただちに理解する必要はないって。
だいたいが野田のは目まぐるしいんだ。
言葉と場面の縦横無尽な展開を、解説や感想をやりとりしながら観ていたのでは、追いつかないでしょうに。
喰いながら喋るな、である。
まずは感じて。
でもって観劇後に反芻して、
咀嚼して、
吸ったり揉んだり、
すったもんだで整理するなり余韻に浸ればいいじゃんかよ。
じゃんかよ、って。
とまあ、
そんな苛々した気分で観たわけであるからして、以降の感想は、
「すまん」
当てにはならない。
でも、それもふくめて生の芝居体験だと思って、いちおう記しておく。
人によっては、ネタバレと思われる方もおられるかも、だ。
了承くだされよ。
長いぜ。
これは火星に入植した人類の千年の物語。
千年前。そこでは人類の幸福度を数値化して、日々その変化に一喜一憂して暮らしていた。まるで現代の株価のようにね。
その数値は、移住の友であるパイパーたち(コンドルズ)が計測、査定している。
パイパーとは治安の監視者で、人類に仕える謎の生命体(?)だ。
こいつらは実力行使で暴力を抑止してしまうのだな。
であるのに千年経ったいま、火星の人類は絶滅の危機を迎えているのはなぜか。
あれほどまでに人と仲睦まじくやっていたはずのパイパーが、あろうことか暴走したのである。
はて、いったいその千年の間に何があったのか。
人間の幸福のために働いていたパイパーが、なぜ殺戮と破壊をはじめたのか。
物語はおもに回想と現在を行き来しながら、これを解き明かしていく趣向であーる。
まず、ストアという人工食の貯蔵庫が『今』の舞台である。
そこに三人の親子が住んでいる。
父親はワタナベ(橋爪功)。
古代人が遺していったおはじきを集めて、火星の千年の歴史を研究している。
おはじきは記憶のメモリーチップなのだ。
古代人たちはこれを鎖骨に埋め込み、そこに自らの記憶を記録していた。
ゆえに発掘されたおはじきを鎖骨にあてれば、そこに記録された記憶が追体験できると。
二人の娘、姉フォボスと妹ダイモス(宮沢りえ、松たか子)。
フォボスは幼い頃に母親に手を引かれ、放浪ののちに、ここストアへたどり着いた。
その旅すがらにみた殺戮と壊滅。
面々と拡がっている文明の残骸。
その惨状を、当時母親の胎内にいた妹ダイモスは知らない。
そして教えられないままにストアの中だけで育った。
ワタナベがベタぼれする巨乳のネーチャン、マトリョーシカ(佐藤江梨子)。
そして、その連れ子キム(大倉孝二)。
キムは天才的な記憶力の子供である。
ワタナベは発掘したおはじきの中から良い歴史を選りすぐって、この子に覚えさせようとしている。
さて、
古代人が遺したおはじきには、いったいどんな栄枯盛衰が記されているのか。
絶滅しかけている人類に、はたして希望はあるのか。
原因と答えを求める彼らは、おはじきをもとに記憶の旅をはじめるのだが。
…………。
ざっとネット上の感想をあたってみるとレイ・ブラッドベリの短編集『火星年代記』を連想する方が多いようだ。
あたしゃこれを読んでないから、なんとも言えない。
んが、
ひとつの隆盛を極めた文明がご破算に。
そして、喰うや、喰われるやの極限の問題に直面する。
(野田は『赤鬼』につづいてここでも食人を扱っている。
赤鬼ではそのタブーを。
しかし今作では、はたして必ずしもそれをタブーと言い切れるのか、と。)
これらからコーマック・マッカーシーの小説『The Road』を連想されるかたも多いだろう。
とくに、母子が壊滅した都市をさまようクライマックス。
りえ・たかコンビのかけあいが絶品のこのシーンで。
小説では滅亡の原因が最後まで解き明かされなかった。
そしてそこが読者のノーミソを刺激するミソでもあったわけなのだが。
それに比べて今作では、その理由を求めている。
食の問題にしても、人工食派とベジタリアンとの反目は、互いに相容れることのできない『原理主義』として描いているし。
ともかく、千年の盛衰をダイジェストで綴るから、寓話性が濃いのだ。
たとえるなら、手塚治虫の『火の鳥』のナメクジの文明を描いたくだり。あれを彷彿とさせた。
その所為か『ロープ』や『オイル』のときほどは、現代を射抜いていないと感じてしまったのである。がそれは、例の隣のおしゃべりに集中力を削がれた所為かもしれないのよ。
無念。
【舞台美術】
いまひとつぴんと来なかった。
しいて言えば、立体感がなくて。
【衣装】も同じ。
【音楽】はクラシックのあり曲で、
それは良いにしても、あまりにベタな選曲で。
バーバーのアダージョとか、
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番だとか。
(↑すいません。初稿で“3番”と書いてしまってました。)
なおかつ音響がまずい。
【パイパー】と、それを演じた【コンドルズ】。
最初出てきたときに、ありゃりゃと思った。
銀色の全身タイツに、ながーいパイプの両腕だ。
パイプというよりはバキューム・カーのホース。
その先端をつないで輪っかにしているのだ。
やっぱ演劇でのSF感てのは、この程度が限界かねと。
なんでSFっていうと決まって銀色の全身タイツかねと。
しかし、そのお間抜け感を利用して、暴走したパイパーの恐怖を引き立てるのだな。
野田は。
してやられちまうのだ。観客は。
このへんはやっぱうまいっす。
淡々と死体を片付けていくパイパーの不気味さったら、ないよ。
【りえ・たかコンビ】
そのかけあいのクライマックスは、特筆に価するでしょう。
見ごたえ充分であーる。
けれど、まだまだ磨き上げの余地もあると思った。
長い公演スケジュールだから、このあとどれだけ更なる正解へ詰めていけるか。そこが見所かと。
その日のテンションやバイオリズムの相性で、思わぬ化学変化をおこすかも、だ。
思うに、もともとふたりのセリフのテンポ自体は、対称的なのね。
松が早く、りえがスロー。
それはこの場合、りえが幼児を演じているからでもあるだろう。
しかし察するに、あたしゃ肺活量の差だと。加えて、持っているノリがもともとそうなのだとも思う。
ともかく、その上で、トータルとしてあの掛け合いのグルーヴを生んでくるのだから。
いや、ふたりのテンポが違うからこその、ナニだな。あれは。
そう睨んだ。
(グルーヴ感絶品のロックバンドのリズム帯が、そうであるようにね。)
とくに配給所の品の悪いオバサンから、三十代の娘、そして幼女へと変化して見せた宮沢りえには、瞠目。
あたしゃこの人を、演技力で見たことがなかったものだから。
華としてしか、見てなかったから。
おそれいりました。
【サトエリ】
ワタナベが鼻の下を伸ばす巨乳のネーチャン、という役どころ。
あたしゃこの方を、巨乳にカテゴライズしてなかったから、最初おどろいた。
巨乳で売ってたっけ? この人。
ともかく父親が巨乳好きというのが、娘たちの共通認識で。
どうせ今度のオンナも、
「おっぱいが大きい」
とかなんとかいうやり取りをしているから、いったい誰が演じるのかと。
したら、たゆんたゆん弾ませてのご登場だもの。
ちょっと、それ、こぼれちゃうって。
だめだめ、おちつきなさいと。
まあ、あのスタイルだ。脚なげえし。
んでもって、たゆんたゆんだし。
それを武器にした役どころと演出だから、映えてました。
加えて、あれだけの芸達者に囲まれて、よくぞまあ臆せずに、と。
ハラを決める潔さがあるのでしょう。
てかハラをくくるしか、あのハイレベルな役者陣のなかでは、貢献のしどこはないはずだしね。それでこそのサトエリだ。
【橋爪さん】
さすがだ。
すげーなと思った。
けっこう動いているのに、安定しててさ。
なんでも、野田との二人芝居『し』以来だそうで。
しかしこの『し』を知らないのだな、あたしゃよお。
戯曲もみつからないしよお。
少人数で、野田との絡みが見てみたかったよお。
で、
で、
【野田】御大だ。
どうしたんだろうか。
あたしゃあんなに声を悪くしている野田を体験するのは、はじめて。
風邪?
それを技術でどーにかやりくりしているのは分かるのだが。かなり酷かった。
かつてどこかのインタビューで、肉体の老いは技術である程度カバーできるが、心配は声だと。先輩もみんなやられてると。
そんなことを言っていた。
一時的なものならいいのだが。
それでなくても近年の談志の喉の無残には、聞くに堪えないものがありまして。。。
しかしまあ、年長の橋爪さんがあれだけのびのびとやっていたのだから、大丈夫でしょうと。
根拠もなく、そうしておきましょうと。
あたしゃ役者としての野田秀樹も大好きだもんで、復調を期待しております。
【アンサンブル】
今回は大人数を使ったアンサンブルを活かしている。
それで群集をよく現していたと思うし。
冒頭のほうの、パイパーも混ぜての舞踊は、ひたすら美しかった。
いい芝居は、集団が活きてなくてはらなんのです。
これはアニメも同じです。
さて、全体として。
まだ充分に煮込まれていない感じがした。
戯曲が。
むろん、上に述べたように、あたしの集中力が殺がれていたこともあると思う。
けれど、おはじきの鎖骨だとか。
そもそもそれがおはじきであることに、いつもの野田らしい解決が見られなかったし。
鎖骨ってのも、なんだか。
なぜ鼻骨じゃ駄目なのか。
で、大量のおはじきをかごの中で揺らして波の音になるくだり。
あの布石の回収も、ううむ。
パイパーの謎も、宙ぶらりん。
オチもナウシカしているようで、直球すぎる気が。
にしては、あちこちに宙ぶらりんが、ぶらぶらりんのままで。
まだ生煮えの具が、あちこちにあるような。
そんなところだ。
なによりも、もう一度きちんと観直したいよ。
座席環境に納得がいかんのっ。
もおおお。
☾☀闇生☆☽
いわずもがなだが、
これは食後の感想なのであーる。
明日に続きま〜す。