ヤラセなんていうものは、百人のうちひとりくらいは信じるもので。
そんなひとりが百人もあつまれば、そのなかにひとりくらいは、実際にやってみようと思うものが現れるものであり。
とまあ、そんな経緯でAVの世界では擬似が本番に。
ゴムが生に。
シコミがゲリラ撮影に。
プロが素人に、といった具合に過激化していった。
過激は必ず麻痺を生んで、さらなる過剰を求めると。
果ては、みんなやってるもん、式に市民権を得ると。
ネットがそれを加速させると。
ようするに、人間の真似る性質にゆだねられるのね。
これがどこまで変化しようと、所詮はAV。
もしくは私的趣向という範疇なら、まだゆるされるかもしれない。
ところがちょいちょい真似よるのだな。
アホが。
てか、信じよる。
よりによって拉致監禁、飼育モノをだ。
で、
鬱陶しいが、一応は記しておくよ。
いわゆる『神隠し事件』。
犯人の「性奴隷にしたかった」云々の証言がありましたな。
でもって、恋人のような関係になれると思ったと。
噴飯ナリ。
こんなのは、エロゲーのやりすぎだ、と切り捨ててしまえばそれまでである。
が、かく云う闇生はエロDVD屋なわけで。
そういう妄想を売る立場でもあるわけなのだ。
だものだから、嗤えない。
しかもああまで残虐非道な結末となったのだから、なおさらで。
しかしまあ、ここまで想像力が乏しいとはね。
エロ屋もびっくりである。
にもかかわらず、そんな奴が社会で『そこそこ』やっていけてしまえていたのだから。
逆に、あんなのにやっていかせてしまっていた世間っつのも、どうなんだか。
仮にね、
誰かを拉致して、監禁できたとする。
さらに女を快楽の虜なるものにしつらえることができたと。
この構想(妄想)の時点ですでに荒唐無稽だが、百万歩ゆずって、そうだとする。
してやる。
でもってカノジョのような関係って、おいおい。
繰り返す。エロゲーかと。
監禁の不自由への苦痛と恐怖のほうが、性的快楽に勝るに決まっているでしょ。
圧倒的に。
逆の立場だったらとリアルに想像すれば、わかるっしょ。そのくらい。
たとえ快楽地獄に溺れたにせよだ、情報も交友も、つまりは社会と絶たれた個人の状況というものが、いかに絶望的なのかくらいは。
いや、それこそが絶望だ。
しかも、それは何週間、何ヶ月、何年続くのかわからないという底無しの恐怖でのことだ。
そんな精神状態の異性と、あのせまい部屋でふたりきり。いったいどれだけ一緒に居られると考えたのだろうか。
あるいは、なんだろ、安部公房の『砂の女』のように、自由の浮薄より、闘争の充実を女が選ぶとでも思ったのか。
んなわけないな。
本なんぞ読んでるはずがない。
ばかりか、『そこそこ』を台無しにするリスクを背負ってまでするのだから、損得勘定すら欠落している。
ばかりか幸福観すら、無い。
じゃあなんだ。
なんなんだ。
結果として我々は、人間性なんてものは『そこそこ』とは無縁なのだなと、再確認してしまった。
哀しいことだが。
そうやって相対化地獄におちいってしまうのに日々うんざりしているくせに、またしても確認できてしまえたのだ。
かくして、立派な人物像というものは、ますますファンタジーになっていくのであーる。
胸糞悪いっ。
異性のペット化という妄想は、普遍的なサディズムらしい。
だって、いたるところにそういう芸がありますものね。
AVは云うに及ばず。
映画やら、小説やら。
だから、少なくとも願望のようなものは、人間の中にあるのでしょう。
しかし、それを飼いならすことで、世間はどうにか成立っているわけでしょう。
さらに云えば、カノジョ、カレシの関係というのも、そんな了解があってのことだ。
で、
それらもろもろの了解のうえに『そこそこ』が成立していると。
本末転倒にすんなと。
んでんで、
そんなこんなで、
たかが一介のエロDVD屋が、
こんなブログで、こんなのたまいが出来てしまえると。
☾☀闇生☆☽
あ、そうか。
拉致監禁で楽園づくり。
そんな荒唐無稽を実力行使したのが、国の隣にありましたね。
いやはや。