幼いころ、家で餅つきをしていた記憶がある。
写真もたしか残っていて、十歳うえの兄が高々と杵を振りあげ、家族がそれをにこやかに見守っている。
杵と臼は、町内で貸し合ったのだと思う。
あちこちでそんな光景に出くわした。
親戚一同が会したときも、何度か餅をついた。
それが小学生の頃にはもう、周囲で餅をつく家はなくなって。
しかし、母の勤務先が毎年暮れには餅つき大会を催していたのだ。
全社員の家庭分のをその日につきあげてしまうという、ありがたい企画だ。
見に行くと、若手の社員が代わりばんこに餅をつき、女子社員がかいがいしく臼の中をこね、できた餅は年配の女子社員がマスにのべていく。
それら一連の流れ作業をてきぱきと仕切る声が響いて。
そこに掛声や、囃し声、餅をつく音が重なって、まことにもって賑々しいものだった。
こっそり納豆をからめてつまみ食いをする中堅社員と、それをたしなめる若手女子陣のほのぼのとしたやりとり。
が、母が引退するとそれもなくなり、我が家の餅はスーパーで売っているパックのそれになってしまった。
やがてあたしゃ家を出て独り暮らしとなるのだが、こうなるともうスーパーの餅ですら、努めて意識しなければ買わなくなってしまう。
ましてや、鏡餅にいたっては、絶縁状態といっていい。
そこで、去年だったか、スーパーで売っている鏡餅をこころみに手に取って見たのである。
んが、驚いたのなんのって。
鏡餅っていうのは、寸足らずの円筒形にのべた餅を、大小二段重ねにしたものである。
ウエディング・ケーキのように。
そのうえに橙をのせる。
けれど、スーパーでのそれは、さながら鏡餅の抜け殻だった。
脱皮した中身はどこに逃げたのか。
羽根をつけて歴史のかなたへと飛び去ってしまったのか。
遺されたプラスチックの殻の中には、個別にパックされた普通の四角い切り餅が、詰め込まれていたのである。
それが、なんだか哀しくて。
鏡餅というのは、お供え餅ともいって、神様への供物である。
鏡開きの日にそれを割って、雑煮や汁粉にしていただくのだ。
無病息災になると教えられたが、小さい頃は、上下の餅の接点に生えたカビが気持ち悪くて、苦手だった。
むろん、それは包丁でこそげ落として使うのだけれど。
昨今の、このプラスチックの鏡餅も、そんな衛生面を考えてのアイディアだという。
なにがアイディアだか。
もはや鏡餅の意味を成していない。
あんな抜け殻を供えられて、神々もリアクションのとりようがないだろうに。
せいぜいが、こんなところか。
「さぶっ」
とまあ、記憶をつらつらと引きずり出しているうちに、ふと思う事があった。
正月の、音である。
元日は特にそうだが、三が日の住宅街はひっそりと静まり返っている。
実家や、海外に出かけている人たちもあるのだろうが。
もはやどこからも威勢のいい餅つきの音など、届いて来やしないのである。
土手の空を見渡しても凧が少ない。
外来種のゲイラカイトがいくつか、さびしくしているくらいだった。
どこ行っちゃったんだ、子供っ。
「さぶっ」
しかし、かつては違ったのだ。
暮れから正月にかけて、外に集まって威勢よく餅をつくという行事が、そしてその声や音が、活気を生んできた。
年の初めにそういう景気づけが、ちゃんと慣習として用意されてあったのだ。この国には。
だから、それぞれの町内やら会社で、今こそぽんぽんと威勢よくやらかしてほしいものだと思う。
孤独死だとか、大不況だとか騒いでいるならば、まずそういうところからだろう。
周囲に声を掛け合って。
だいたい、年の初めからシンとしているなんて、もったいないと思いませんかね。
不況だっつのに。
派遣切りのための仮設住宅ももちろん重要だろうけどさ。
炊き出しも、餅つき大会にすれば、きっと活気がつくよ。
仕合わせを支えている土台は衣・食・住かもしれん。
けど、その衣・食・住を支えているのは、何なのよ。
少なくとも衣・食・住ではない何かではあるわけで。
☾☀闇生☆☽
餅つきの、つく側と、こねる側との呼吸がぴたりと合うと、どこかエロティックですよね。
よくカラオケで、意中の人が、別の同性と絶妙なデュエットをこなしたりすると、嫉妬を覚えるなんていいますね。
ひょっとするとあれに近いかも。
音楽なんですよ。あれも。
呼吸とリズム。
でもって互いを思いやり、確かめながら、最高を求めていく。
出来の良いジャム・セッションは、みんなそういうものだ。