クリスマス、
などといっても日本でのそれは、単にお祭りであって、
ごっこであって、
…などと拗ねていたのは若い時分のことであった。
いまでは、なんでもアレンジして吸収してしまう日本の文化のたくましさの象徴であると、この日を解釈している。
先日書いた、ビーフカレーのようにね。
バブルの頃は、その日になると一流ホテルのスイートから、ラブホテルから、ことごとくが満室となっていたものであり。それは、お相手もいないうちから数年先のその日の予約を競うという、狂気の沙汰でもあって。『そもそも』の由来を考えれば、それはそれはおぞましい文化解釈を世界に晒していたわけなのだが。
平成の世にもなれば、その熱狂もようやくおだやかになってきたご様子。
仲直り、だとか。
よしみを深める、だとか。
そういうのの方便として活用されはじめているわけであるからして、そこへきていまさらながら『そもそもは』などと、知ったかをかますのも、野暮というものでしょう。
だいいち、この、チョンガーの一人暮らしの身分であたしがそれを言ったらアウトである。
ま、
雰囲気だけでもおすそ分けしてもらおうと、あたしゃi-PODにクリスマスっぽい選曲を企んだ。
んが。
ない。
クリスマスアルバムが、ライブラリーに見あたらない。
考えてみれば、ビーチボーイズのそれとか、定番をね。そろえてないのだ。
かててくわえて、クリスマスにラヴバラードなんていうのは、歯が浮いちゃってダメなものだから。
なんか賑やかで愉しげなのないかなぁと。
探したらありましたよ。
アカペラグループのROCKAPELLA。
知ってます?
かつて「ゾンビジャンボリー」という曲がヒットして名が売れたのだが。
そんな彼らの『OUT COLD』というのがクリスマスアルバムだった。
このなかに流暢な日本語で歌われる『クリスマス休戦』というバラードがあり。
発売当時が湾岸戦争で。
クリスマスを理由に一時休戦に合意したとのニュースが駆け巡っていたのである。
それが歌詞に盛り込まれているところが時代を思わせて、良きカナ。
恋ではなく、
要するに友だちや家族の仲直りがテーマなのだ。
全体的にも子供に楽しめる構成で、健全。
しかもそれをアカペラでやらかすのだから、実に賑やかなのである。
しゅびどぅび、しゅびどぅび〜♪
と今日、
あたしゃ通勤電車の車中で悦に入っていたのである。
ところが、どーしたことか、どーにも曲から気分がずれていって。
もっとキツイのないの?
このシャンメリー的幸福感に飽きてしまったのだ。
ううむ。
がつんと、来い。
ガチで来い。
イヴなんぞ、知らん知らん。
ここはひとつ打ち込みではなく、肉体の躍動を。
といって、メタル方面ではなく。
遊びと反射神経と即興の、サッカーのようなチームプレイだ。
とくればフュージョン。
それもロック寄りのビター味。
というわけで、ひっさしぶりにジェフ・ベックをクリック。
とくればむろん『Blow By Blow』だ。
『Wired』だ。
まずは聴いてよ。「Scatterbrain」での高速ドライヴィング・テクニックを。
目ぇまわすぜ。
こういう傑作中の傑作を表現するのに、ベックのギタープレイを云々するのは、野暮ちんですな。
まるで、ほしのあきのお乳をあらためて評するようなものだ。
いまさら彼女に、
「ちちでかっ」
言っても、なんだかなあでしょ。
あのね、おっさんたるもの、これ見よがしのお乳は、背中で感じるのがたしなみなのだ。
電車のなかではちあわせても、頑見なんて、はしたない。
巨乳も美脚もチェリー尻も、ぐっと背中で感じるもの。
何事の おはしますかはしらねども
かたじけなさに 涙こぼるる
by 西行
ザッツ・オール♪
なにを言ってるのか、あたしゃ。
とどのつまりが、単なるむっつりスケベなのだ。
でもいいんだ。
ベックの神業は、あえて背中のスケベ心で聴くものなのだから。
このアルバムは左右に揺れてまわるエレピに酔って、ストリングスにときめくのが作法。
冬の今なら『Blow〜』のラスト「Diamond Dust」にやられちまえ。
途中からベースがシンセベースにチェンジするそのセンス。
エレピソロの陶酔。
硬質で壮大なストリングスの風。
んで、両作ともプロデュースがジョージ・マーチンであることを、あらためてかみ締める。
ここ、ポイントね。
いわずもがな、五人目のビートルと言われた巨匠である。
傑作の影に、名プロデューサーあり。
お乳にばっか気をとられていると、そんなとこを見過ごすのであーる。
繰り返す。
おっさんは背中で感じるべし。
☾☀闇生☆☽
山本常朝の『葉隠』に、たしかこんな言葉があった。
秘してこそ、恋。
ようするに、そんなクリスマスなのだ。