そうか。
「生きているのが嫌になった」
というのは、決して、
「死にたい」
とイコールにはならんのだな。
その『たい』に、かすかだが、欲望が残ってるもの。
動力と言おうか。
それが起こす善悪は、別としてね。
動力ならば、そいつの反作用を、ようするに生側に活かす可能性だってあるはずだ。
ならば、何かの拍子に悲観がうらがえることが、きっとある。
ある。
そうする意味に疑問を抱く、という堂々巡りの問題もあるのだけれど。
メビウスの輪のようにね。
まあ、ようするにそういうことだ。
そこへいくと、
「生きていたくない」
これなんだ、やっかいなのは。
いわば己の生への、責任放棄。
楽になりたいと。
それをこじらせると、やけくそがおっぱじまる。
さて、
これを飼いならさねばならんのだが。
なかなかに手ごわいんだな、こいつ。
ね。
まず、この『絶望を飼いならす』という感覚。
腹の底に。
想像してみ。
それを抱くだけで、ずいぶんと景色が変わるはずだよ。
うんにゃ、変わるって。
☾☀闇生☆☽